まほろばの道

 
まほろばの道
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 豊郷地区の西部丘陵及び
 田川周辺には,栃木県や宇都宮市に
 よって文化財に指定されている
 多数の古墳・遺跡等が点在し,
 地域の歴史を知る上で貴重な
 宝庫となっている。


 これらの文化遺産を結び合わせた
 散策路として整備したものが
 「まほろばの道」であり,地域の
 人たちが自然を楽しみながら
 歴史・文化に接するきっかけづくり
 として,また,健康増進のために
 ウォーキングのコースとして
 非常に優れた地域資源である。



 この散策路を「まほろばの道」と命名したが,この意味は,クリックで大きく表示されます
 倭建命が故郷を偲んでの望郷の歌とされている
 「倭は国のまほろばたたなづく 青垣山こもれる大和しうるはし」
 の「まほろば」から採ったもので
 豊郷地区も,緑織り成す丘陵,清い流れと豊かに広がる田園,
 さらに縄文の古代から人々が暮らした過去が偲ばれる遺跡や文化に
 親しみながら散策のできるすぐれたところということから決定された。

 平成16年に国土交通省後援による
 「美しい日本の歩きたくなるみち500選」の一つに選ばれたこともあり
 将来にわたってより親しまれるよう継承して行きたいと考えている。

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 現在の豊郷

 

 現在の状況は,平成元年に帝京大学理工学部が開学し,続いて
 平成9年には宇都宮市立宇都宮美術館が開館するなど,かつての
 豊かな森に包まれた丘陵地帯も,宇都宮市の学術・文化ゾーンを
 構成する地域に変貌しつつある。

 平成8年には,竹林町の田園地帯の一角に済生会宇都宮病院が
 移転開院したほか,同年4月には国道119号線(通称日光街道)と
 国道4号線を結ぶ宇都宮環状道路(愛称 宮環)が地区内を東西に
 横断し,大きな役割を担っている。

 しかし,こうした発展の中で見逃してならないのは,
 里山ともいうべき豊かな田園風景が残され,人々に潤いを与えてきた
 ことである。これは単に地区の大部分が市街化調整区域であるという
 ことだけではなく,自然や景観と調和を図って発展する豊郷の将来像を
 考える手掛かりとなり得ると思われる。

 また,平成19年3月に予定されている市町合併により,宇都宮市は
 もちろん,この豊郷地区が大きく変貌しながら将来にわたって
「まほろばの郷」として発展することを期待している。


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 伝統・文化

 

  古墳 

 豊郷地区の古墳は,宇都宮丘陵が田川によって南と北に分断された
 丘陵の尾根上に,瓦塚古墳群,宮下古墳群,谷口山古墳などが点在し,
 一部は消滅したものの,なお50余基に及ぶ古墳が確認できる。
 これらの古墳は,6世紀中ごろから後半にかけてのもので,
 被葬者は,田川・山田川周辺の流域の肥沃な農耕地を支配していた
 首長とその関係者の墓と考えられている。
 以下主なものをあげる。

 北山古墳群(瓦谷町)


 岩本町と瓦谷町にまたがる宇都宮市北山霊園の
 南・南東部に位置し,宇都宮丘陵が田川と
 田園で分断され,その北方に河内町に延びる
 丘陵の尾根に造られている。

 古墳群は,宮下古墳と5基の円墳,雷電山古墳,
 その南の権現山から成っており,築造期は
 いずれも6世紀の中期から後期のものと
 考えられている。

 以下のものが北山古墳群を形成している。





  宮下古墳

 北山霊園に接して,丘陵の
 南端で,最も高い場所にある
 古墳で,全長43mの前方後円墳で
 後円部の墳丘に遺体を埋葬した
 横穴式石室があり,奥に向かって
 左右の壁は数個の石を
 積み上げ,その隙間に粘土が
 詰められていた。
 出土品は,直刀,鉄製花形
 などであった。


  雷電山古墳

 宮下古墳の約150m北東にある
 全長41m前方後円墳で,後円部に
 横穴式石室があり盗掘にあい,
 東南に開口している。
 石室は両袖型横穴式で全長6.3mで
 出土品は不明である。
  







  権現山古墳

 雷電山古墳の南約100mの
 位置にあり,全長55m,前方部の
 幅28m の前方後円墳である。
 後円部は,南側に袖無型横穴式
 石室が開口しており,凝灰岩の
 割石積みで,石室の全長は7.8mで
 盗掘によって開口している。
 出土品は円筒埴輪数個と
 馬型埴輪などである。

 

 瓦塚古墳群

 長岡百穴古墳の北東約400mの丘陵の尾根と,その斜面に瓦塚古墳と
 いわれる前方後円墳と40数基の円墳から成っていたが,一部は開発に
 よって消滅している。
 この古墳群は,古墳時代の6世紀後半の築造とされ,円墳については
 7世紀始めごろまでの築造と推定されている。
 主墳の瓦塚古墳は,二段に築造された全長45m,前方部の幅25m,
 後円部の幅20m,高さ3mで周囲には幅11m,深さ1.3mの周濠が
 確認されている。
     
 明治31年の発掘では,墳丘には埴輪が2列に巡らされ,後円部墳
 丘上には中央に一大円筒埴輪1本が立てられ,他に馬型埴輪,
 人物埴輪も出土した。
 後円部石室内部からは,直刀,刀子,鉄鏃,金輪,轡,水晶切子玉,
 瑠璃製小玉,師器,須恵器などが出土した。埴輪については,
 人物埴輪の首その他の破片が出土するなど,その内容から豊郷地区の
 古墳の中で重要な地位を占めている。

 地元には,瓦塚古墳は宇都宮の守り神,宇都宮二荒山神社の祭神である
 豊城入彦命の墳墓と言い伝えられている。

 
             瓦塚古墳群の清掃作業

 長岡百穴古墳群


 長岡町の県道下岡本・上戸祭線に
 面する丘陵斜面の凝灰岩に
 横穴状に掘り込まれた墳墓群で,
 長年の風化にさらされてはいるが
 現在52基が南を向いて
 開口している。
 こうした横穴古墳は,7世紀前半
 ごろの築造とされており,従来の
 横穴式石室を簡略化した群集墓で
 周辺の古墳に埋葬された人々との
 間に身分上の格差が見られる。


 谷口山古墳

 県道下岡本・上戸祭線沿いの
 田川右岸丘陵の南斜面に築造され
 ており,直径24m,高さ2.8mの
 片袖型横穴式石室を有する円墳
 である。平成3年の発掘によって
 人骨の出土状態や石室の床部分の
 状況によって追葬されたことが
 判明した。
 第一次埋葬の後,第二次埋葬の
 際に羨道部分は割り石と土砂に
 よって一段高く整地し,新たに
 框石を据えている。
 出土品は,直刀,耳輪,ガラス小玉,鉄鏃,刀子などが
 発掘されている。


  伝承文化 

 瓦谷の太々神楽

 神楽は神の前で奏するわが国最古の舞と言われており,高天原の
 天岩戸の前で舞ったのがその起源とされている。
 瓦谷町の平野神社に伝わるこの神楽は,桃園天皇の御代に京都の
 八坂神社の神楽が伝えられたのが始まりと言われている。
     
 江戸時代に,平野神社の神官であった地元の篠崎土佐守は近郷の神官と
 相談し,神楽組合を結成して平野神社をはじめ,高龗神社・稲荷神社
 などで五穀豊穣,悪魔払いの祈願を込めて奉納し,神楽復興を
 図ったとされている。
 明治9年に大和流太々神楽の認可を受け,今日に伝承されている。
 また,昭和44年には宇都宮市の無形文化財に指定された。

 

  

 堀米の田楽舞

 後冷泉天皇の天喜5年(1057),
 源頼義が奥州討伐の命を受け
 八幡太郎義家を従えての途次,
 宇都宮二荒山神社に立ち寄り,
 戦勝祈願のため田楽舞を奉納したのが
 その始まりと言われている。
 この田楽舞は,二荒山神社の御神領で
 あった現在の関堀町堀米地区の
 農家6軒により,代々世襲されて
 今日まで伝承され,宇都宮二荒山神社の祭事である春渡祭,田舞祭
 冬渡祭の日に奉納されている。

 関堀の獅子舞

 関堀町上に伝えられている獅子舞で,
 その由来は堀米の田楽舞と同様に,
 今から900年余り前,源頼義が
 奥州討伐の際に,ともに出征した
 八幡太郎義家は,当時京都の紫宸殿に
 出向していた藤原角輔から獅子舞を
 命ぜられた。     
 その後,義家は奥州で勝利し,京都へ
 戻る途中この関沢の地において地元の
 人々に獅子舞を伝授したのが起源と
 されている。
 この獅子舞は,紫宸殿藤原角輔流
 獅子舞として毎年8月14日から16日に
 地元の人々が舞を披露し,今日に至る
 まで伝承されている。

 これらの文化遺産を結び合わせた散策路として整備したものが
  「まほろばの道」である。詳しくはこちら 

 以上の他にも横山町の「ぼうじぼ」など,たくさんの行事が
 残されています。 詳しくはこちら

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 地区の産業

 

  農業 

 豊郷村の時代から「田どころ」として米麦が中心の地域であった。
 昭和30年代から40年代にかけて,玉ねぎ,しいたけ,きゅうり,
 かぼちゃなどの生産部会を設立して活発な生産活動が行われていたが,
 生産者の減少等により規模縮小の傾向が続いている。
 地区の南端の競輪場通りから北部地域では,比較的中心市街地に
 近い地域でありながら調整区域でもあることから,広範囲にわたって
 水田地帯が広がり,農業生産の役割を担うだけでなく,
 人々に潤いと安らぎを与えている。

 近年の農業者の老齢化・後継者の不足などにより,
 厳しくなってきた農業経営の安定化策として,地区の有志により
 請負耕作組合が設立され,国,県,市,農協の指導・援助を受け
 水稲の育苗から栽培,収穫までの各部門を請け負っている。

項目
--------
地区
戸数
(戸)
人口
(人)
経営耕地面積
(ha)
樹園地
豊郷地区 433 2113 604 72 28 704
宇都宮市 5427 25,935 6,218 1,193 477 7,888
                      (平成12年農林業センサスより)


  商業 

 昭和40年代以降,下川俣町・岩曽町・竹林町などの白沢街道沿いには
 諸業種の商店が進出して商店会等も設立された。
 また,平成8年7月には宮環が開通したことに伴い,
 環状線沿いに大型スーパーなどが出店,同年10月には競輪場通りに
 百貨店が移転開業し,その後豊郷台には大型専門店が出店するなど,
 豊郷地区の人口増加とともに商業活動も活発になっている。
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 区域・面積・人口

 
地区内地図
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 豊郷地区は,昭和29年に
 旧豊郷村が宇都宮市と合併し,
 横山町,瓦谷町,関堀町,
 長岡町,岩曽町,山本町,
 竹林町,今泉新町,下川俣町,
 海道町,川俣町,岩本町,
 御幸ケ原町の13町が誕生した。

 しかしながら,実態としては
 各種の住民活動の母体となる
 豊郷地区連合自治会を構成する
 自治会の範囲,または
 旧豊郷公民館の所轄区域
 (豊郷中央,南,北,海道の
 各小学校の通学区)をもって
 豊郷地区の区域としている。

 昭和30年代の中ごろになると
 高度経済成長の時期を迎え,
 平出工業団地の造 成による
 工場の誘致が開始され,さらに
 清原工業団地の造成により,
 宇都宮市は北関東の工業都市と
 して発展し人口の増加が続いた。      クリックで大きく表示されます
                
 豊郷地区は,こうした人口の増加に応えるべく大規模住宅の開発が
 進められ,地区西部の宇都宮丘陵には,富士見が丘団地
 ・ニュー富士見が丘団地・豊郷台団地が造成された。
 東部には水田地帯が広がっているが,市街化の進行が著しく,
 岩曽町・下川俣 町・竹林町は開発が進み,人口が大幅に増加した。

 面積は約24.6㎢,また平成19年3月末において
 人口は39,749人,世帯数は 15,299戸となっている。

  
   <地区別面積>
地区名 本庁 平石 清原 横川 瑞穂野 国本 富屋
面積 37.16 21.12 42.08 18.55 19.52 24.25 17.00
豊郷 篠井 城山 姿川 雀宮 上河内 河内 宇都宮市
24.64 26.56 39.44 23.84 18.00 56.96 47.72 416.84
                            (単位:㎢)

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とよさとについて:目次

 

  豊郷地区シンボルマーク
  キャッチフレーズ
  とよさとのあらまし
  地形と位置
  区域・面積・人口
  地区の産業
  伝統・文化
  現在の豊郷
  まほろばの道

 地形と位置

 

 豊郷地区は宇都宮市の北東部に位置し,南部は市の中心部から
 比較的近距離で市街地に接している。
     豊郷位置図<位置図>

 地区の形状は一部に突出部はあるものの,南北に長い台形をなし
 南北約7km,東西約6kmで,田川の西部地域,
 田川の東部地域(北部)からなっている。

 田川の西部地域には,一部に凝灰岩を産出する宇都宮丘陵が見られる。
 宇都宮丘陵は田川による浸食作用で南北に分断され,
 瓦谷横谷を形成している。

 南部丘陵は,標高150~200mで平地からの高さは
 40~60mで,豊郷台・富士見が丘の住宅団地となっている。
 丘陵内部は湧水を水源とする小河川による開析谷が発達して,求喰川,
 向川の水系を形成し,田川に注いでいる。
 丘陵の南部は八幡山に接し,仏舎利塔はこの丘陵の西部にある。

 北部丘陵の南東部には,北山古墳群が地形を利用する形でつくられ,
 現在は北山霊園と一体となっているように見える。
 南部には,豊郷北小学校,ニュー富士見が丘団地等があり,
 田川を挟んで南部丘陵と向かい合っている。

 中央部には,一侍川が丘陵の湧水を集めて南に流れ,
 北部から西部にかけては山林が広がっている。

 主な河川

 1級河川(国・県が管理)     田川,山田川,御用川
 2級河川(県が管理)       該当なし
 準用河川(市が管理特別指定)   一侍川,向川,西川,奈坪川
                  美しの川,求喰川,求喰川支流
 
 普通河川(1級・2級・準用河川以外の河川)中堀川ほか

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 とよさとのあらまし

 

 明治22年に市制・町村制法が施行され,それまでの13か村
 すなわち,関堀村,上川俣村,下川俣村,海道新田,竹林村,
 今泉新田,大曽村,山本村,岩曽村,長岡村,横山村,瓦谷村,
 岩本村の村をそのまま大字として豊郷村が発足した。
 当時は河内郡の主要部分を占め,
 宇都宮の北に位置する大きな村であった。     
     宇都宮変遷図
大きく表示したい時はクリック!! <宇都宮変遷図>
       クリックで大きく表示されます

 その後,宇都宮市への一部編入等が行われ,
 昭和29年に町村合併により豊郷村全体が宇都宮市に合併した。

 昭和30年代からの高度経済成長の波は豊郷地区にも押し寄せ,
 隣接地への大規模工業団地造成や西部の丘陵地帯に
 大規模住宅団地の開発,東部台地の下川俣町・岩曽町・竹林町などに
 住宅が造成され,著しく人口が増加した。

 交通の面では,東北新幹線が開通し豊郷地区の景観を一変させ,
 宇都宮環状線の全線開通・田原街道・白沢街道・豊郷田園通り・
 岩曽中通りの整備などにより交通の便は格段に向上した。

 文化面では,長岡最終処分場の跡地に長岡公園が整備され,
 更に長岡町の丘陵には帝京大学理工学部が開設され,
 うつのみや文化の森公園・豊郷台中央公園など
 大規模な公園が整備された。
 うつのみや文化の森公園には,宇都宮美術館が開館し
 宇都宮市の学術・文化ゾーンとなっている。

 北山霊園の整備,霊園に隣接して戦没者慰霊塔の建設,
 更に宇都宮市夜間休日救急診療所・済生会宇都宮病院の
 中央本町からの移転開院,宇都宮市保健所の開設など
 多くの公共的施設が整備されている。

 遺跡・文化財の面では,宇都宮グリーントラスト活動や
 長岡百穴愛護会・瓦塚古墳群愛護会・北山古墳群愛護会・
 瓦谷や関堀の無形文化財保存会など緑地や文化財の保存活動も
 活発に行われている。

 平成8年には,宇都宮市制100周年記念事業が実施され,
 豊郷地区では各種イベントのほか,郷土誌「豊郷のすがた 」の編纂や
 豊郷の歴史を刻んだ散策路「豊郷まほろばの道」の選定などが行われ,
 地域住民に親しまれている。
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 キャッチフレーズ

 


  健康で文化の薫る 豊かな郷に新風を

 新しく魅力ある地域づくりの出発点として
 ふさわしいものであることを願い,地域住民の連帯,
 更に将来に向かっての発展を求めて,
 キャッチフレーズ(合言葉)を定めた。
                             ▲top

豊郷地区シンボルマーク

 

      

  このシンボルマークは「山」と「田園」に
  広がる大地に流れる清らかな「川」を意味しています。

  その意味は,すがすがしい躍動感溢れる豊かな自然であるように。
  またそのなかで生きる人々がいつまでも
  健康で素晴らしい豊郷であるよう願いを込めた表現をしています。
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