歴史年表 雀宮地域の歴史は古く、古墳時代まで遡ります。多くの人が暮らしていた証となる古墳群や東山道の跡が発見され、今なお発掘調査が続けられています。また江戸時代になると日光東照宮参拝のために日光街道の人々の往来が盛んになり街道沿いだった雀宮神社付近の「雀宮宿」は大いに栄えました。
                                           

時代

年   号

雀 宮 地 区 の 様 子

4世紀後半

周辺地区にたくさんの古墳が造られた。(東部地区が古墳時代〜奈良時代、西部地区(針ヶ谷地区)が縄文、弥生、そして僅かながら石器時代を見ることが出来た。西部地区は、東部と対象的に開発が行われず、幸いにも古代文化はそっと保存され、縄文遺跡はそのまま解発されることなく地中に眠っている。針ヶ谷地区の中坪、下坪の遺跡では現在でも地表面に肉厚の縄文土器片を拾うことができる。)





時 

7世紀後半

下野薬師寺の建立により関東以北の僧達の学問・修行の府として栄え、この影響で仏教文化が栄えた。上三川と茂原の接点に茂原廃寺跡と呼ばれる官()跡及び倉庫群がありこの寺を中心に仏教も盛んだった。(日本縦断官道として有名な東山道跡が発見され、官役、官の荷役を行い軍道としての機能を充分発揮していた事実を知ることが出来た。

土桃

1597(慶長2年)

現在の雀宮地区周辺は宇都宮氏の支配下になり当初、城の南の守りとしての任務を持つ兵庫塚に横田城を築きその後上三川に城を移し宇都宮の護りを確固たる物にした。

宇都宮國綱の代に秀吉により所領没収、お家断絶となり活気を失い、治安が乱れる。

代  

1617(元和3年)

徳川家康の死後、日光街道が東照社参詣や参勤交代に使われるようになり雀宮の宿場が完成。活気を取り戻す。雀宮宿は旅人宿としての機能が強く近郷の村は本陣を中心に米作り中心となった。

1867(慶応3年)

1876(明治9年)

1885(明治18年)

1889(明治22年)

大政が奉還されると参勤交代、日光社参が皆無となると交通量が激減。宿場は疲弊し、治安が乱れた。

宇都宮―東京間、乗合馬車が開業。

東北本線大宮―宇都宮間 開業。ますます人通りが減った。

市町村制施行により雀宮村ができる。

1913(大正2年)

宇都宮―小山間、鉄道が複線化。

バス利用者も増加。宿場として成り立たなくなった。

雀宮村は疲弊した。

1942(昭和17年)

 

1945(昭和20年)

1951(昭和26年)

1953(昭和28)

1955(昭和30)

日産自動車が母体となった関東工業が茂原の地に設立。戦闘機の機関砲の弾丸の製造を始めた。それに伴い工員、その家族が当地に移動。人口が急増した。近郷、近在に先駆けて電気・水道が整備され、総合病院も出来た。工場のための「雀宮南駅」が茂原に新設され、5〜6千人の乗降客で賑わった。

終戦とともに工場閉鎖。全員解雇。

朝鮮動乱により日本の治安維持のため警察予備隊(後の自衛隊)が誕生。関東工業の跡地に基地を誘致。約2千名の隊員が駐屯。町は活気を取り戻した。

町制が施行され「雀宮町」となる。

町村合併法により宇都宮市に合併。