ポール・ニューマン Paul Newman

『スクープ・悪意の不在』 1981年 シドニー・ポラック監督

 スターの顔はある時期で大きく分かれる。'50年代がハリウッド産業によって作られた個性ならば'70年代はスター自らが作り出した個性という具合に。後者の筆頭格であるのがポール・ニューマン。'73年に米ホワイトハウスから発表された当時のニクソン大統領の政敵リストに映画人としてトップにランクされる一方、'78年には逆に国連軍縮特別委員会に米国政府代表として出席。同年末に長男が麻薬の過剰摂取で死亡すると麻薬対策基金も設立するなど市民活動家としても名を残す。
 父親がユダヤ系の豊かな中産階級出身。スポーツ選手から演劇に転身、エール大学を中退して'52年、アクターズ・スタジオに入る。'54年『銀の盃』(ビクター・サビル監督)で映画デビューしたが当初から出演作には口うるさい新人だったという。
 『傷だらけの栄光』('56年。ロバート・ワイズ監督)『熱いトタン屋根の猫』('58年。リチャード・ブルックス監督)『ハスラー』('61年。ロバート・ロッセン監督)『動く標的』('66年。ジャック・スマイト監督)と快調。『レーチェル、レーチェル』('68年)では制作・監督業にも乗り出し、『明日に向かって撃て!』('69年)『スティング』('73年)のジョージ・ロイ・ヒル監督作品で人気は頂点に。
 『ハスラー2』('86年。マーティン・スコセッシ監督)でアカデミー主演男優賞を獲得したときは60歳。「演技を知るまで30年かかった」とは彼らしい。

1925年1月26日 米・オハイオ州クリーブランド生まれ 身長180cm

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