
『白夜』 1958年 ルキノ・ヴィスコンティ監督
スターの座を決定的にしたのはフェデリコ・フェリーニ監督の『甘い生活』('60年)からだろう。上流階級の退廃を体験する記者役は、戦後の欧州繁栄の一側面を見せつけると共に彼自身も強く印象づけた。
ローマ南東で家具職人の子に生まれ、戦時中は捕虜としてドイツの強制収容所も体験。戦後、家業を継ぐため夜学でローマ大学建築科に入るが大学の演劇センターに参加したことでF・フェリーニ監督と出会うきっかけになり、ルキノ・ヴィスコンティ監督の舞台を経て'49年に銀幕デビューを果たす。
シリアスなものからコメディーまで幅広く演じ分け『ジェラシー』('70年。エットーレ・スコラ監督)と『黒い瞳』('87年。ニキータ・ミハルコフ監督)にてカンヌ映画祭男優賞を受賞。
ラテン・ラバー(ラテンの恋人)の異名をとる二枚目だが、どこかとぼけた雰囲気で人を惹きつけ「マルチェッロ」「マルチェリーノ」と親しみを込めて呼ばれた。その素顔も人なつっこく純粋で、フェイ・ダナウェイと破局を迎えたときには「死にたい!」と自分の娘に電話をかけて泣きじゃくったという。
'96年12月19日、長年同棲していたカトリーヌ・ドヌーブのもとで息を引き取るのだが、ローマではその日、『甘い生活』の有名なシーンの舞台となったトレビの泉が水を止め、黒幕を張って彼の死を偲んだ。「年を取ったターザンの役をやりたい」と、最後まで冒険心にあふれていたマルチェッロだった。
1924年9月28日 伊・フォンタナ・リーリ生まれ 身長177cm