セッシュー・ハヤカワ(早川雪洲) Sessue Hayakawa

『チート』 1915年 セシル・B・デミル監督

 その美貌と悪びれない演技が認められトーマス・H・インスやセシル・B・デミルといった一流監督に恵まれ米国の人気俳優に伍して堂々主演を果たす一方、後に自ら会社を設立し作品制作者として米国だけでなく、特にフランスで絶大な人気を博して一時代を築いた。
 本名・早川金太郎。上流階級の家に育ち海城中学を卒業後、海軍士官学校の試験に臨むも失敗。1908年に渡米するが軍人への希望を捨てすぐ帰国。わずかな劇団と舞台を経験して再渡米、シカゴ大学で学んだ後ロス・アンジェルスの邦人劇団に入団したところでトーマス・H・インスの目にとまった。
 前述のデミル監督の作品『チート』(1915年)で白人女性の身体に焼印を押す残忍さを誇張する役などが多かったことから、当時の日本では売国奴呼ばわりされたが、戦後は性格俳優としてカムバック。アカデミー賞にノミネートされた『戦場にかける橋』('57年。デビッド・リーン監督)で面目も躍如。映画脚本の他にも戯曲や回想録『禅への道』など多くの著書もある。

1889年6月10日 千葉県安房郡七浦村生まれ

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