
『Gメン』 1935年 ウィリアム・キーリー監督
小柄な身体に負けん気をみなぎらせたイキのいい下町のアンちゃんとして'30年代のハリウッドに旋風を巻き起こし、年輪を重ねた晩年はギャング映画の第一人者としての印象が強い。
コロンビア大学を中退してからデパートの包装係、賭博場のゲーム係など様々な職を転々とする。ヴォードヴィルの舞台で歌って踊り、これが次第に認められワーナー・ブラザース社に招かれた。折しも当時の同社はギャング映画が名物。『民衆の敵』('31年。ウィリアム・ウェルマン監督)ではチンピラから成り上がって最後には惨殺されてしまう暗黒街の若者を血気盛んに演じイメージが定着。特にメイ・クラーク演じる相手の女性の顔にグレープ・フルーツの切り口を押しつける場面は、残酷描写にうるさかった当時だったので大変な反響があったという。世論の風当たりが強くなりギャング映画が下火になると、今度は『タクシー』('32年)などで路線転換、西部劇などにも出演し演技の幅と共に人気層も広げたがそれでも真骨頂はギャング役。『汚れた顔の天使』('38年。マイケル・カーティス監督)や戦後の『白熱』('49年。ラオール・ウォルシュ監督)などの評価は今も名高い。
前出のM・カーティス監督と再び組んだ『ヤンキー・ドゥールドゥル・ダンディ』('42年)でアカデミー主演男優賞を受賞。コメディ演技も十分にこなす器用さを改めて証明した。
1899年6月17日 米・ニューヨーク・イーストサイド生まれ 身長175cm