
『追想』 1956年 アナトール・リトヴァク監督
謎に包まれた生い立ち、東洋的な顔立ちから日本人の血を引くとも言われた。実際、大の日本びいきで'54年に日本公開された黒澤明監督の『七人の侍』に惚れ込み、翻案権を買い取り『荒野の七人』('60年。ジョン・スタージェス監督)としてリメイクしたほど。
13歳でジプシーの一座と共にナイトクラブで歌い始め、バラライカも演奏。10代の後半にはパリで空中ブランコ乗りになるが転落事故で挫折。その後、ピトエフ・レパートリー・カンパニーで舞台経験を積み、ソルボンヌ大学にてマイケル・チェクホフに師事。'40年に渡米を果たした後の大戦中は仏語でのラジオのコメンテーターを担当していた。
'50年のブロードウェイの舞台での大ヒット作を映画化した『王様と私』('56年。ウォルター・ラング監督)でアカデミー主演男優賞を受賞。以来、そのときのシャム王のスキン・ヘッドが生涯のトレード・マークに。そして、どんな役にもそのスタイルで違和感なく演じてしまったところに彼の俳優としての力量を感じさせる。
後年は舞台に戻り『王様と私』を再演。その最中、ガンで余命1ヶ月の宣告を受けるが、ここからが凄かった。文字通り体を張って「タバコはガンに悪い」と訴えながらも'85年、死の直前まで演じ続けること公園回数4625回。不滅の金字塔と言っても過言ではあるまい。
1920年7月11日 旧ソ連・サハリン生まれ 身長180cm