語学エッセイ(31):「ダブル」と doppelt


 しばらくマスコミでは「ノーベル賞日本人ダブル受賞」(小柴さんの物理学賞と田中さんの化学賞)の話題でもちきりでしたが、今度は「ダブル世界タイトルマッチ」(徳山のWBC世界スーパーフライ級タイトルマッチと星野のWBA世界ミニマム級タイトルマッチ、2002年12月20日)という言葉が目に飛び込んできました。

 「ダブルの」というドイツ語の形容詞は doppelt です。doppelt って一体なんだろうと、以前から少し気になっていたものですから、この際、皆さんと一緒にこのコーナーで考えてみることにしたいと思います。

 

[注]「ダブル」はドイツ語では複合語を構成する時は Doppel -(Doppelgaenger「ドッペルゲンガー」という有名な名詞を思い出してください)ですが、形容詞としては doppelt という形をとります。この形容詞の -t という子音は、doppeln「二重にする」の過去分詞である gedoppelt の影響を受けて付け加えられるようになった、と Duden の語源辞典に説明があります。

 

 まず最初に問題点を明らかにしておきます。日本語の「ダブル」はもちろん英語(double)からの外来語ですが、最初に挙げた「ダブル受賞」と「ダブルタイトルマッチ」の「ダブル」は、英語にもドイツ語にもない用法です。

 「ダブル」という概念にぴたりと当てはまる日本語が存在しないので、この言葉はそのまま外来語として日本語に定着したのですが、実際には、日本語の「ダブル」は英語(やドイツ語)の使用範囲を超えて用いられています。それはなぜでしょうか、またなぜそのようなことが起こったのでしょうか。

 そこで皆さんにも考えていただきたいと思います。「ダブル」って一体何なのでしょう。「ダブル」doppelt と「2」zwei はどう違うのでしょうか。

 「ダブル受賞」も「ダブルタイトルマッチ」も、「同じようなことが2つ同時に起こる」という意味で用いられているのだから、ダブルは、同じ「2」であっても、その2つが「同じような出来事」であり、かつ「同時」に発生したという条件に当てはまる場合にのみ用いるのだ、という結論が導き出せそうです。

 実際そのような考えで日本人は「ダブル」という言葉を使っていると私は推測しますが、それなら、英語やドイツ語にはどうしてそういう用法がないのでしょう。そもそも double は two の一種なのでしょうか。このことから疑ってかかる必要がありそうです。

 順序として、いつものとおり語源を遡ってみることにしましょう。英語の double もドイツ語の doppelt も、フランス語の double[ドゥーブル]から来ています。そしてこのフランス語自体は、さらにラテン語の duplus[ドゥプルス]、あるいは duplex[ドゥプレックス]に遡ることができます。

 du-plus、du-plex の du は duo、つまり「2」であり、duplus は zwiefaeltig「二つに折った」「二重の」の意。plex は動詞 plico[プリコー]の形容詞形で、plico は zusammenfalten, zusammenrollen「たたむ」「折り重ねる」「巻き上げる」ということですから、結局 duplus も duplex も原義は「二つに折り重ねた」ということです。

 1枚の紙を真ん中で折って重ねるという動作を想像してください。これが「ダブル」ということなのです。折り重ねた紙は、ちょっと見ると2枚に見えますが、もちろん切り離したわけではありませんから、1枚の紙であることに違いはありません。

 doppelt の本質は「<2>のように見える<1>」、あるいはもう少し哲学的に表現すれば「<2>として現象する<1>」です。ですから、doppelt と結びつく名詞は単数形なのです。

 

 

 「zwei+複数名詞」と「doppelt+単数名詞」との間には、このように本質的な考え方の違いがあるのですが、名詞に単数形と複数形がない日本語で考えると、この区別がはっきりしなくなります。

 エーリヒ・ケストナー Erich Kaestner の「ふたりのロッテ」、これは有名な小説ですのでご存じの方も多いと思いますが、原題は "Das doppelte Lottchen" です。「二重のロッテ」ではまずいし、「ダブルのロッテ」も全然日本語にはならないので、「ふたりのロッテ」という邦題にしたのだと思いますが、これでは原題の暗示するところがまったく伝わりません。

 「ふたりのロッテ」に直接対応するドイツ語は "Zwei Lottchen" ということになりますが、この Lottchen は複数です。この小説がもし、"Zwei Lottchen" というタイトルだったとしたらどうでしょう。これではおもしろくもなんともない、やはり"Das doppelte Lottchen" でなくてはなりません。

 一人であるはずのロッテが二人になった、一人だと思っていたロッテが実は二人だった、ということをこのタイトルで示すことができるからです。"Zwei Lottchen"(あるいは邦題の「ふたりのロッテ」)というタイトルであれば、たんに「ロッテという名前を持つ人が2人いる」ということしか読者に伝えることはできません。

 「二人のロッテ」というのはロッテとルイーゼという別々に暮らす双子の姉妹のことですが、この二人が役割を交換してそれぞれ相手の家庭(実は二人の離婚した両親)に入っていくという筋ですから、ロッテもルイーゼもそれぞれが一人二役を演じていることになる。この「一人二役」のことをドイツ語では Doppelrolle といいます。

 そして Doppelrolle が複数形ではなく、単数形になっているのはなぜかという点にこだわって、その理由をよく考えてみますと、Doppelrolle という名詞は、「一人が演じる二役」ではなく、「二役を演じる一人」(「<2>として現象する<1>」!)という点に着目した表現であるということに気づくはずです。

 

[注]Doppelrolle には複数形がないと言っているのではありませんので、誤解しないようにしてください。Doppelrollen という複数形は存在します。その場合は複数の「一人二役」、つまり一人二役を演じる俳優が複数存在するという意味になります。

 

 もう一つ例を挙げておきます。Doppelmord(英語では double murder)という興味深い言葉があります。独和辞典では「二重殺人」となっていますが、変な日本語ですね。あるいは法律用語としては定着しているのでしょうか(広辞苑には見あたりません)。

 Doppelmord というのは、「一人が同時に二人を殺すこと」です。犯人は一人で、被害者は二人です。さきほどの「<2>として現象する<1>」という doppelt の定義からすれば、「二人の被害者は実は同一人物だった」ということになりかねませんが、もちろんそんなわけはありません。

 これは一人の人間の犯した一件の殺人事件が、その中に二人の殺害を含んでいる、という意味です。2件の殺人事件のように見えるけれども、じつは同一の犯人による一連の(=一件の)殺人事件(単数!)として取り扱うべき事件であるということだと思います。

 

[補足]1人の犯人が同時に2人を殺すのが Doppelmord ですが、1人の犯人が同時に2つの異なった犯罪(例えば殺人と強盗)を犯した場合は Doppel- (あるいは doppelt)ではなく zweifach を用いて、ein zweifaches Verbrechen と言います。

 

 「あるものが<2>として現象してはいるが、この現象の本体はあくまでも<1>」という doppelt の定義を心得た上で、最初の「ノーベル賞日本人ダブル受賞」と「ダブル世界タイトルマッチ」に戻ることにします。

 問題の「ダブル世界タイトルマッチ」は、「徳山×ペニャロサ」のWBC世界スーパーフライ級タイトルマッチと「アランブレット×星野」のWBA世界ミニマム級タイトルマッチの2つの試合から成り立っていますが、この2つの試合の共通点といえば、それらが同じ日の同じ場所で行われるということ、そしてどちらも世界タイトルマッチであり、かつチャンピオンか挑戦者が日本人であるということです。 

 この2つの世界タイトルマッチはどう考えても、2つの試合(つまり複数)であり、これを単数(1つの試合)とみなすことは不可能です。「これは一見2つのタイトルマッチに見えるが、じつは1つのタイトルマッチなのだ」と解釈する余地はあるでしょうか。まず無理でしょう。したがって、英語でこれを double title fight とは言えませんし、ドイツ語で doppelter Titelkampf と言うこともできません。

 「ダブル受賞」のほうはどうでしょう。こちらの共通点は、二人の日本人が同時にノーベル賞を受賞したということだけです。小柴さんと田中さんが実は同一人物であった、ということになればダブル受賞(ドイツ語では doppelte Auszeichnung、あるいは doppelte Preisauszeichnung で、実際にこの言葉は使われます)でいいのですが、そんなことはなさそうですから、こちらも英語やドイツ語では「ダブル受賞」という言い方をすることはありえません。

 ついでにもう一つ例を挙げておきますと、「わが家は来年二人の娘が、高校入試と大学入試のダブル受験で大変なんですよ」などと言うことがあります。この姉妹が無事二人とも入試に合格したとしたら、「ダブル合格」ということになるのでしょうが、ダブル受験もダブル合格もドイツ語の doppelt や英語の double では表現できないことがお分かりいただけると思います。長女の大学入試と次女の高校入試はどう考えても2つの受験であって、「1つの受験が2つに分かれた」、あるいは「2つの受験のように見えるが実は1つの受験なのだ」などと解釈できる可能性はまったくありません。

 お断りしておきますが、私は、日本人が double という概念を正確に把握していないこと、そして英語とは異なった意味で「ダブル」という言葉を用いていることを非難しようとして、この文章を書いているわけではありません。外来語が新しい文化的環境の中で、その本来の意味を離れて次第に異なった意味を獲得していくというのは、ごく当たり前の現象であり、そこにはなんの不思議もないといっていいでしょう。

 ただ、ある外来語が本来の意味とはかなり異なって用いられているという事実だけは、知っておいても決して損はしません。そうしてその意味の変化がなぜ生じたのかを考えることで、双方の文化的環境の違いをよりよく理解できることがよくあるのです。外来語の意味の変化は2つの国の文化的差異を映し出す鏡です。

 ヨーロッパ諸国において「ダブル」という概念がもつニュアンスを、日本人はなぜ正確に受け取れないのか、その理由はいくつか考えられますが、その最も決定的な理由ははっきりしています。それは日本語の名詞には単数と複数の区別がないということです。ドイツ語では(英語やフランス語もそうですが) Doppel- や doppelt は単数名詞と結びつくというそれだけの理由で、「<2>として現象する<1>」という基本的な意味がずっと失われずに保たれているのです(「形式は必ず意味をもつ」「意味のない形式はない」という点については別の機会にお話したいと思っています)。

 「<2>として表れているが本質的には<1>」(単数)から、「本質的には<1>」という部分がぬけおちると、「良く似たものが同時に2つ」(複数)という意味に変化してしまいます。これが日本人の「ダブル」の解釈です。それから、「ダブル」を「二重」という訳語におきかえて受け取っていることも、日本人が「ダブル」を誤解するもうもう一つの原因になっているのではないかと思います。

 

[注1]英語に double wedding という言葉があり(ドイツ語でも Doppelhochzeit といいます)、これは「ダブルタイトルマッチ」と同じ発想ではないかと考える方もおられるかもしれませんが、違います。double wedding というのは2組のカップルが同時に結婚式を行うことです。つまり同じ式場に二組のカップルが並んでいるわけです。これは1回の結婚式ですから、これを「ダブル」とよぶことに問題はありません。もし「徳山×ペニャロサ」と「アランブレット×星野」の試合が、同じリングで同時進行するなら、doppelter Titelkampf ということもあるいはできるかもしれませんが、そんなことがあるわけはありません。

[注2]これも英語ですが、double door という言葉があります。英和辞典では「観音開きの戸」と説明されていますが、実際には「二重扉」のことを指すことが多いようです(ドイツ語で対応するのは Doppeltuer で、Duden の Bildwoerterbuch の図を見る限り「二重扉」のことを指しています)。いずれにせよ、double door は二枚の扉から成り立っていますから、さすがに英語でもこれを複数だと認識することもあるようで、double doors と複数形になることがあります(ドイツ語でも Doppeltueren となることがある)。ですから「double は原則として単数名詞と結びつく」ということは動きませんが、複数名詞と結びつくこともないわけではありません(とくに英語にそういった傾向が見られるようです)。この問題に関しては、私はまだ手持ちの材料がとぼしいので、現段階では残念ながら皆さんにはっきりしたことをお話することはできません。

[注3]ちょっと哲学的なことになりますが、ヨーロッパの伝統的な考え方では、存在の本質的なあり方は<1>ですから、<2>は存在の非本質的な仮の表れという意味を帯びることになります。Zweifel「迷い」「疑念」、Zwist「不和」、Zwiespalt「分裂」「相克」、entzweien「仲違いさせる」などすべて zwei の派生語なのですが、zwei には否定のニュアンスがつきまとっていることがお分かりでしょう。Duden の『語源辞典』によれば、前綴りの zer- も zwei と語源的に関連がある可能性が高いとのことです。doppelt(あるいは doppel-)にもその傾向ははっきり見られます(doppelte Moral「二重モラル」、doppelzuengig「二枚舌」など)。

 

 

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