栃木 史蹟探訪
♪「柴刈り、縄ない、草鞋をつくり、親の手を助け弟を世話し、兄弟仲良く孝行つくす、手本は二宮金次郎」♪ と、昔、なれ親しんだ方もいらっしゃると思います。これは尋常小学校唱歌として愛唱された一節です。
桜町陣屋跡
栃木県南部に位置する (旧)二宮町にある、尊徳翁ゆかりの地
道の駅「にのみや」に立っている金次郎の像
積小為大 「せきしょういだい」
二宮尊徳はいろいろな教えをといておりますが、至誠「しせい」・ 分度推譲「ぶんどすいじょう」・ 一円融合「いちえんゆうごう」などの言葉を残しております。
その中の一つ、小を積んで大をなす"積小為大"「せきしょういだい」は、今日でも十分に通用する言葉です。
陣屋跡入口
尊徳仕法について
尊徳が考え出した、農村復興や、財政建て直しの為の政策をさします。
その考えは現在でも十分通じる方法で、数年間の歳入、歳出を算出し、それらのデータを元にして生活の予算を設定します。これを「分度」といいます。
このことによって農民の浪費に歯止めをかけ、又、領主側からの重税に対抗する有効な手段にもなり、荒廃した農村の財政再建をはかったものです。
二宮金次郎について
二宮金次郎は今から約200年程前に貧しい農家「神奈川県小田原市」栢山村に生まれ、幼い頃から大変苦労をして育ちました。
14歳の時、父親と死に別れ、又、16歳の時に母親にも先立たれました。
その時、金次郎は幼い弟達と三人だけになり一家離散の憂き目を味わうことになります。
みなさんがよくご存じの菜種を収穫して灯火の下、本を読んだいわれる逸話は、17歳の時のお話になります。 この様にして、少年時代の金次郎は、大変極貧の中で苦労をされて育ちました。
やがて、金次郎は青年期になり小田原藩家老の屋敷に下男奉公として働きますが、当時、借財で苦しんでいた、ご家老に頼まれ、5年という約束で見事にその借金を返し、さらに五百両という蓄えもこしらえ、ご主人である家老夫妻に大変感謝をされました。
その話が当時、藩の財政が苦しかった小田原藩主の耳に入り、領地である桜町「当所」の村建て直しを、金次郎に頼みました。
しかしながら土地の農民からいろいろと妨害があったのですが、 当時、天保の大飢饉と云って、日本国中でお米がとれず、大勢の餓死者が出ましたが、二宮村だけは、金次郎の指導でいち早く冷害対策をしたために一人の餓死者も出さずにすみ、村人から大層感謝されたとの事です。
その後、江戸幕府から、日光領の農政建て直しを依頼されて、その偉業が今日までも永く伝えられております。
山形の上杉鷹山や二宮尊徳の偉大さは、自ら困難に立ち向かい、改革を実行したことです。 「入るを計り、出るを制する事は」今の小学生でも解る事ですが、 先ず自らが範を示す事がいかに大切か。 口では簡単に云えますが、財政再建に心血を注ぎ巨大な抵抗にもめげず改革を実行して見事に財政改革を成し遂げたことは 現代に多くの教訓を示してくれているものと思います。
所在地 栃木県真岡市物井2013−2 (旧二宮町)
二宮金次郎ゆかりの地
滝尾古道
田中正造旧宅