春木屋・AKAI TORIの歴史4      ♨ 温泉??

 13.温泉?(笑)・・・私が店で接客していると、あるお客さんが(客)「お宅は、昔 温泉やっていたよね!」と、(私)「???・・・いや~温泉なんて話は聞いた事ないです、何処かとお間違えなんじゃないですか?」(客)「だって俺は、お宅の風呂に入った事あるよ!3階で、タイル張りの三角みたいな風呂だろ 「春木屋温泉」て、言ってたんだよ!」(私)「えぇ~?確かに、昔のお風呂はそんな感じでした・・・けど??」このお客さん何者??何で家の風呂の事知ってるの???

お客さんが帰られた後に、母に「うちで温泉やっていた事あるの?」と、聞くと(母)「それは、温泉じゃないけど・・・・」

昔のクーラーは、屋上にクーリングタワーと言う機械があって、水を巡回させ冷気を作るさいに温水が排出されたらしいその温水を、初代がホースで三階の風呂に引き込んで、温水を掛け流しにしてお客さんに「貸し風呂」をしていたらしい。

それをお客さんたちが、温泉でもないのに。勝手に「春木屋温泉」などと言い始めた様です。

当時は、家にお風呂がある家がそう多くはなかった様ですから、需要があったのかもしれませんね。

 

また、作新学院の野球部の応援が好きで、よく選手たちの寮に 肉などの食べ物を持って行って 選手たちにふるまっていたそうです。

試合があると、何処にでも付いていき、上半身裸で黒タイツ(力道山のマネだったらしいです)姿で応援していたそうです。

応援に一生懸命で店なんか何日もそっちのけ。

家族が「どこに行っているのだろう?」と心配していると。新聞に、上半身裸で作新野球部の応援をしている姿が写真に載っていて、「今、〇〇にいるんだ。」と分かったそうです。

作新学院の応援、甲子園球場で張り切る初代

競輪も大好きで、八幡山の競輪場の事を「山の学校」と言って通っていました。

お気に入りの競輪選手がいると、その選手にくっいて開催場を回って歩いたそうです。

ある時は、あっちこっち追いかけたあげく、大宮の旅館でお金を使い果たしてしまい「金が無くなって、旅館から出られなくなったから、大宮の旅館まで金を持ってきてくれ。」と電話があって、家族が大宮の旅館までお金を届けに行ったそうです。

又、ある方から「お宅のおじいちゃんは、毎回違う床屋に行って「春木屋のカレーが美味い!」「大福が美味い」「珈琲が香高い!」とか、宣伝して歩いたんだって、昔は床屋や銭湯が社交的な場だったから、口コミの情報源になるのを利用した画期的な宣伝方法だったって。有名な話だよ!」

と、私の知らなかった事を教えていただいた事もあります。

遣ることは、めちゃくちゃな所もありますが、なかなかの企業家でもあったのですね。

和菓子屋の方は、戦後 作った大福や饅頭を仲見世(現在の二荒通り)で売り歩いていた、和菓子職人の「秋元」さんと 初代が出合い、

「うちの店先で売りたいから 持ってきてくれないか。」と言うのがきっかけで、(昭和33年頃?もう少し後かも)から販売を始めた様です。

そこに、団子屋の「小林」さん、「あかづ饅頭」で有名な「あかづ」さん、初代の同級生の息子さんで和菓子職人の「土屋」さん、

餅や饅頭を作っている「池田もち店」さんが加わって春木屋の和菓子の礎を培ってきました。

今に続いている、「ジャンボ大福」「ジャンボどら焼き」などは、初代の考案した物です。

戦後は、砂糖など甘いものが不足していて、甘いののは皆の憧れだった様です。

貴重な甘い物なので、他店では、饅頭などは だんだん小さくなっていく傾向だったそうです。そこを逆手に取った商品だった訳です。

「人と違うことを遣れ!」と、口癖の様に言ってました。

数々の職業をへて現在の 飲食業と和菓子に行き着いた様です。

それにしても・・・皆さんからのお話を聞いてみると、傍から見ても豪快で楽しい爺さんだっったみたいですね。