My Illness (がん闘病記)


『 ひろっしゃんの海の家 』 TOPへ戻る

2002年 7月 12日  ( 健康診断 )


会社の健康診断の結果が、朝の朝礼の時に配られた。
上司の話を聞きながら、封を切る。
(ランク 「G] ...!?、精密検査を必要とします...だってぇ?)
(何じゃこリャ〜!!)
(去年まで、ずっと、「A]か「B」だったのにぃ〜!)
(間違いか、罠だな...、うん、きっとそうだ!これは、病院が、
再検査させて儲けようとしてんだよ。絶対、そうだ。そうに決まってる!)
 上司が、「リストラ」の話をしている...。
「業界全体が、人員削減を推し進めています。残念ながらも、
当社も...。」
(再検査なんか行ってられねえな、こりゃ。真っ先に辞めさせらる。



2002年 7月 19日

勤務中に総務課から内線が入る。
(リストラの話かな?って。ドキッってする。)
「検診クリニックから、電話が入ってますよ。」
とりあえず、「ほっ」としながら、電話に出る。
「再検査の対象になってますが、いつなら来れますか?」
「えっ?あっ、はい...。え〜と、あの、知り合いで病院経営してる人が
いるので、そこで再検査するので、大丈夫です。」(もちろん、うそ)
「..ああっ、そうですか..。でも、必ず再検査だけは受けてくださいね。」
 ぎこちないやり取りが終わる。
(まったく、わざわざ、電話してくるなよ。再検査なんか受けないよ。)  



2002年 8月 31日  (最期の波乗り? )

週末、いつもの海岸に行く。
もう、何年も、こんな調子で週末を過ごして来た...。
いつもどうり、普通の休日。
 砂浜の駐車場に、車をとめ、屋根から、サーフボードを降ろす。
もう夏も終わり...、海水浴客もまばら。
低気圧の影響で、海は、かなり荒れている。
「ごしゃってる。」状態で、波乗りには、不向きなコンディションだ。
他の、ポイントもチェックしてきたが、ここが一番ましなようだ。
いつもなら、さっさとあきらめ、海釣りに予定変更するところ...。
でも今日は、特別な日になりそうな気がする。
 自分の体は、もう、限界に近づいているような気がするから...。
下腹部に四六時中続く、鈍い痛みは一体、何だろう?
大したことしてないのに、毎日、どうして俺は...、
こんなに疲れているんだろう?
 ((やっぱり、なんかの病気なんだろうか...?))
なんか、今日、海に入らなかったら、一生後悔するような気がした。
 ワゴン車のリヤハッチを開け、ウエットスーツに着替える。
そして、ボードに、ワックスを念入りに塗りこむ。
(疲れる...、ワックスを塗るだけで、もうくたくただ。)
元気な頃は、日の出から、夕日が沈むまで、
一度も陸に上がらなくても平気だったのに...。
 、自分ひとりで沖に向かう。
沖には、サーファーがたった2人だけ、それも、ほとんど乗れていない。
波は、前からだけでなく、横からも入ってくる、ボヨン、ボヨンとしていて、
どこがピークか分からない。
そのうち、2人のサーファーは、引き上げていって、
自分ひとりの海になってしまった。
でも、自分は、上がれない、必死で乗りつづけた。
やっぱり、満足の行くライディングは、一本もなかった。
 ((これが、20年ちかく続けてきた、最後の「波乗り」...?))
淋しい一日だった。 
 



2002年 9月 17日

最近、食事が、喉は通るが、腸が通らない。(詰って、痛くなる。)

「ひろっしゃん、今日も、カップヌードルなの?」
会社の食堂で、みんなが定食や、弁当を広げてる横で、
自分はもう一ヶ月以上、カップヌードル一個。
 「ああ、金ないんだよ。」
「おっ、残しにかかってるね?」
(...違うんだよ、こんなもんしか喰えねえんだよ!)

やっとのことで、勤務時間をやり過ごす。
すると、上司が寄ってきて、
「今日も残業、いいかな? 若いやつら、逃げ足はやくてさあ。」
また、残業になった...。 



2002年 9月 19日

近くに、「吉野家」がオープンしたので、家族で出かけた。
「並で、たまごと味噌汁ね!」
牛丼に、卵をかけ思いきり、かき混ぜる。
(うん、これなら通りが良さそうだから、全部食べられそうだ。)

 最近、御飯らしい、御飯を食べていなかった。
 「カロリーメート」と、「ウイダーインゼリー」、「リポ D」、
それに「カップめん」ばかリ食べて、しのいできたのだ。
 家族には、もうとっくに体の異常は気づかれている。
 「お願いだから、医者に行って!」
 毎日、事あるごとに、せっつかれっぱなしだ。
 でも俺は、行けないでいる...、リストラの事、病名を知る事の恐怖、
そして、なにより、病院に拘束される事が耐えられなかった...

卵とからんだ牛丼の、滑らかな喉ごしに、我を忘れて一気に、かきこんだ。
半分ぐらい食べた時、突然、激しい吐き気が襲ってきた!
トイレに駆け込んだ、そして、激しい嘔吐。
全身がしびれ、下腹部がめちゃくちゃ痛い!!

家族に支えられ、自宅に戻る。
 もう、自分には、「選択の余地」は、残されていなかった...。 



2002年 9月 20日  ( ついに病院に行く )

 ついに、医者に行くことになってしまった...。
結局、人間は、痛みが限界を超えると、妥協できちゃうんだな。

 知り合いが、「大腸のポリープを取ってもらったんだけど、
本当に、腕のいいお医者さんだよ。」 っていう所に行く。
 これが、病院?ただの診療所じゃん...、それに、めっちゃ古いし。
などと思いながら、「もうどこでもいいから、早くなおしてぇ〜!」
っていう感じで、受付をする.

 自分:  「ものを食べると、食べ物が、大腸のあたりで詰るみたいで、
痛いんです。これ、会社の健康診断なんですけど...。」
 医者:  「.....。」(黙って、健康診断結果を見ている。)
 自分:  「大腸に、ポリープでも、あるんですかね?」
 医者:  「こりゃあ、肝臓の方も悪そうだなあ【笑】。」
 自分:  「肝臓? 痛いのは、腹なんですけど...?」
 
 超音波エコーを撮る事になった。
 医者:  「あぁ...、メタだ。いっぱいあるぞ。」
突然、立ち上がって、
 医者:  「お〜い。ちょっときてみろ!」
息子(めちゃくちゃ若いが一応医者のようだ。)が、呼ばれる。
 医者:  「おい、見てみろ。これが、肝臓のメタだぞ。なあっ、
いっぱい、あるだろ。(なんか、はしゃいでる...。)」
 息子:  「...はい。」
 自分:  (メタ...って、騒いでるけど、なんのことだろ?
まあ、肝臓は、痛くねえから、どうでも言いや。それより、腹みろよ。腹!)

 診察室に戻る。
 医者:  「今度は、内視鏡検査するから、検査食以外食べないで.」
その場で、レトルトパックの「食いもん」を、渡される。
 自分:  「内視鏡検査って、あの尻から入れるやつですか?」
 医者:  「そりゃ、そうだろ。口から入れて、どうすんの?(冷笑)

 こうして、痛み止めだけもらって、初めての「医者通い」が、終わる。
 自分:  (メタ...って、なんだろ? 帰ったら、辞書引こうっと。) 



2002年 9月 25日  ( 突然の末期ガン告知 )

いよいよ、死ぬほどやりたくなかった、
内視鏡検査の朝が来た...。
あ〜ぁ、どうせやるんなら、もっと早く、やれば良かった。

約束の時間に、受け付けに行くと、事務員が、
 
「えっ? なんでこんなに早く来たんですか?」

だって...、言われた時間に来ただけだっちゅうの!

 とりあえず、呼ばれるまで待つしかないか......
って、あんた!イスが一個も、空いてねえじゃないの!?
腹は、相変わらず痛いし、食べてないから、ふらつくし...。
 イスに座ってる「元気なおばあちゃんたち」が、
「ガハハッ!」って、笑いながら話し込んでるのを、
横目で見ながら、とりあえず、階段にうずくまる。

 2時間が過ぎたが、一向に呼ばれない...。
受付の前に行って、眼で訴えるが、「見ない振り」だ...。
 3時間が過ぎ、やっと呼ばれ、階段から開放された。

診察室に入ると、3床あるベッドのうち、2床に、
次の患者さんたちが、ベッドを縁取るように腰掛けて、
何人も待ってるじゃないですかあ!
(座るとこないんなら、待合室に、「折りたたみイス」
用意しておいてくれよ。)

「じゃあ、ここに寝てください、浣腸しますよ〜。」

看護婦が、ゴムの古い水枕みたいなものを、
ポールにセットし始める。

「ちょ、ちょっと待ってくださいよお〜!
 なんで、目の前に次の人が待ってるところで、
浣腸されなきゃなんないんですかあ!?」

 自分と、ベットに座って待ってる人の距離、80センチ...。

「ああ、そう。 じゃあ、すみません、
皆さん、もう少し下がってくださ〜い!」

と、看護婦は、面倒臭そうに言い、
医者は、「チラッ」と、にらんだ。

看護婦が、水枕のコックをひねると、ジェットスプレーの如く、
「どしゃーっ」と、流れ込んできた。
半分くらいで、

「ちょっ、ちょっと、タイム〜!!」

「はあ?」と言いながら看護婦が、怪訝そうに、コックを戻す。
 自分は、飛び起きて、トイレまで走った。
待合室の人たちの前を、尻を押さえながら...。
(なんで、こんなにトイレが遠くにあるんだよ!!)

 そんなこんなで、いよいよ、内視鏡検査が始まる。
 レントゲン室に寝かされる...。
いきなり、看護婦たちが、急にあわただしく動き回り始めた。
隣の部屋から、内視鏡の大きな装置を運んできたのだ。
(なんで、同じ部屋に置かないんだよ、もう!)
でも、コード類は隣の部屋からだから、当然、ドアはOPEN.
(廊下を通る人にみられるう〜、超はずかし〜!)

どうやら、検査は息子がやり、
親父は別室から、指示を出すようだ。
自分の周りに、看護婦が5人、しかも、4人は20代のようだ...。
「穴明きパンツ」っていっても、尻のほっぺまで、
丸出しのやつだよ、何にも履いてないのと同じ状態...、
どこの病院も、こんな感じなのかな? 悲惨だよ、これ。

内視鏡が、入ってくる、かなり痛いが、思ったよりは我慢できる。
腸内が画面に映し出される。
ピンクの内壁の所々に、小さなポリープが映し出される。
(ああ、良かった、これなら、すぐとれそうだ。)
そのうち、内視鏡は、さらに奥へと進む。

「いででっ!!!」

激痛が走り、のけぞってしまった...。
息子の医者が、

「これ以上、奥は無理です。かなり痛がってるので...。」

すると、親父の医者が、スピーカーを通して、

「なあんだ、惜しいなあ、もっと奥、みてみたかったんだけどなあ。」

大腸の途中が、何かで、塞がれていたのだった。
もう、空洞は、内視鏡の直径の、半分しかなかった。
そこに、この親父は無理やり、差し込ませようとしている...鬼だ

とりあえず、小さいポリープだけは、内視鏡の先端にある、
レーザーで焼ききり、リング状のワイヤーで、取り出した。
(意味ねえよ、そんな小さいの取ったってよ...。)

 今度は、尻から「バリウム」を注入される。
レントゲンで、腸全体を、映し出した。
大腸の途中が、消えかかっているように映ってる。
10センチ程の長さが、細い糸のようだ。
 息子が、画面を見ながら、

「もう少しで、腸閉塞状態になるとこだったね。
よく、こんなになるまで、我慢したね。相当痛いはずだよ。」

とりあえず、検査は終った...。
しかし、相変わらず、座る所が無い。
看護婦が案内した所は、レントゲン室だった。

「ここで、しばらく、待っててね。」

 って、おい! 目の前で、他の人が、レントゲン撮ってるよ、
しかも、ドア開けたまま...、「被爆」しないのかなあ?俺。
時々廊下に逃げると、看護婦が、
「中で、待っててください!」と、怖い顔...。

2時間ぐらいして、やっと、レントゲン室から、開放された。
検査結果の報告だ。

「大腸、緊急手術しないと、だめだな。」

「えっ? 緊急手術。」

「一応、取り出した細胞は、検査機関に回すけど
まず、100%悪性腫瘍だね。」

「悪性腫瘍って、ガンっていうことですか?」

「まず、間違いないね。保証するよ。
このままだと、一ヶ月もたないだろうな。」

「ええっ!?」

「とりあえず、どこかの病院に紹介状書いてやるよ。どこがいい?
どこでも、書いてやるぞ。」

自分は、「真っ白」になった。
しかし、涙は出てこない。
「ふわふわ」した感じで、重力が、まったく感じられない。

「ああ、それから、肝臓だけど、こっちは、どうしようもないな。」

「えっ!?」

「全体に広がりすぎてるから、除去は無理だし、
もって、半年かな?」

「はっ、半年〜!?」

(具体的に、月数まで、いきなりの告知かよ、おい!)
(ずいぶん、テレビドラマと、違うんじゃないかい?)
やっと、涙が出てきた、家族も、横で泣きだした...。

すると、ずっと黙ってた息子の医者が、

「今はね、いろんな治療法があるからね、胸の脇から、
管を通して、投与したり、いろいろ方法はあるから...。」

すると、すかさず、親父の医者が、

「そんなことやったって、無駄だあ! 
こんだけ、広がってんだから。」

息子の医者は、それきり口をつぐんだ。
自分も、家族も、黙って泣いた...。
ただ、この医者への「殺意」は、強く湧き上がっていた。

家族が、受け付けに行ってるうちに、自分は、車に乗り込んだ。
もう、一分も、この病院の空気を吸うのに耐えられなかった。

車の窓から、開けっ放しの窓の中の「診察室」が見えた。
数時間前、自分の足を押さえていた看護婦たちの姿も、見えた。

(笑ってる!...、自分の「余命半年」の告知を、
横で聞いていた看護婦たちが,
  じゃれあって、大笑いしている!)

 嫌なものを、見てしまった...、
しかし、これは夢ではない、現実だ。



2002年 9月 30日

 告知を受けたA胃腸科病院に、新しい病院へ移る為、、紹介状を受け取りに行く。
( 4日ほど、いろんな病院を検討した結果、○○○病院に、決めていた。)

 自分は、あの医者に、二度と会いたくなかったので、家族に取りに言ってもらって、
 駐車場で、待っていた。


 ベージュの大きな封筒を抱えた家族が、あの医者から、

 『 よく、あそこに入院できたな。 大したもんだ。』

 と、訳の分からない事を、言われたと、苦笑いしながら、車に戻ってきた。




2002年 10月 01日

 ○○○病院へ、入院の申し込み手続きに行く。

 『 空きベット 』 の関係で、10日ほど、待機して欲しいと告げられる。

 正直、早く手術して、痛みから開放されたかったので、10日間は、かなり長く感じられた。



2002年 10月 04日  ( 別の病院に入院 )

 思ったより早く、、病院の入院許可が、来た。

 受付で、簡単なアンケートを書かされた。

  ≪Q5: あなたは、病気について、告知を受けたいですか? 受けたくないですか? ≫
 
  『   うん!?  ...、なんだこれ? 』

   おれは、絶句した...。

 『 Q5 』 の答えに、『受けたい 』 に、丸をつけ、

 『 前病院にて、末期ガン告知済み 』 と、書き添えた。


  その後、婦長さんの説明、主治医の説明を受ける。

 主治医は、A胃腸科病院から、渡された、レントゲンフィルムを見て、言った。

  『 うーん、正しい、診断結果だね。』 と、言った。

  悲しかった...。

 あの医者の言った事を、新しい先生に、あっさり、肯定されてしまった...。



2002年 10月 7日 〜 12日

 10/7 【 大腸の内視鏡検査 】

 また、前の病院と同じ検査だ...、ガッカリした。

 だけど、検査前の【浣腸】、全然、やり方が違ったよ。

 個室で、洋式トイレに腰掛けて、電動で、ゆっくり、ゆっくり、液を流し込んでくれた。

 ( 全然、つらくも、恥ずかしくも無い。あの病院の浣腸は、何時代の方式なんだよ!! ) ムカついた...。

 内視鏡検査で履く、【 尻だしパンツ 】、これまた、違う!

 きついズボンで、思い切り、しゃがんだ時、『 ビリッ 』って破けたような、
 裂け目があるだけで、全然、恥ずかしくない!!
 
  ( くそお〜! 何から何まで、違うじゃねえかよ〜!! 初めから、ここにくれば良かった...。(T_T)  )

 内視鏡も、驚くほど、スムーズで、ほとんど、内視鏡の先端が、大腸内壁にぶつからない。『 上手い ! 』 と、つぶやいた。

 それに、検査の時の体勢は、前の病院が、仰向けで、『 出産スタイル 』だったのに、
 こんどの病院は、ずっと、横向きだった...、看護婦が、数人で、俺の足を、広げて、
 押さえつける事も無く、終わった...。

 ( あの病院の、やった事は、一体、なんだったんだよ〜!!! )

 
  10/8 : 【 胃カメラ検査 】
  
   口の中に、麻酔液を、含んで麻痺させてから、挿入したので、余裕だった。

  ( 胃カメラ、昔、死ぬほど嫌いだったのに...、全然、余裕だった。 ) 

  この日、突然、副担当医が、病室に来て、右肩に、点滴用の、【 カテーテル 】を、
 埋め込んでいった。

 ビックリした...病室で、こんな恐ろしい事するとは...。何回か、ベットに、
 血が吹き出した...、一度、違う方向にチューブが入ってしまい、やり直す。(^_^;)


  10/9 : 【 腹部 超音波エコー 】

  10/10 : 【 腹部CT検査 】

  10/11 : 【 胸部CT検査 】

  10/12 : 【 バリウム注腸検査 】


 



2002年 13日 〜 15日

 おれは、入院前に買っておいた、スケッチブックを取り出して、毎日、絵を描いた。

 > 『 大腸は、手術でなんとかなるけど...肝臓は、手遅れ...。』

 この言葉が、頭から、ずっと離れない...。

 これから受ける手術では、おれは、ガンから、開放される事は無い...。

 空しかった...。 これから、数ヶ月の『 延命 』の為に、【大腸の手術】をする。

 ( 肝臓が、そのままじゃあ...、そのままじゃあ...。(T_T)  )

 自分は、日記帳も、入院前に持ち込んでいたが、1日で、辞めた。

 暗すぎる文章は、家族に残したくないと、思ったからだ。

 だから、おれは、ひたすら暇を見つけては、絵を描いた。

 何かを、『 残したいと思っていた。 』



2002年 10月 16日  ( 大腸ガン手術 )

 手術の日が、来た。

 この日、朝から、6人部屋から、個室に移動した。

 同室の人たちに、『 頑張れよ! 』 って、励まされる。

 みんな、凄い手術を、経験してる人たちばかりだ。

  予定の時間が来ても、なかなか、呼ばれない...、前の人の手術に、時間がかかってるようだ。

  ようやく2時間遅れで、ストレッチャ-が到着して、おれを、手術室に運んでいった。

 背中に、傷の痛みをとる『 硬膜外麻酔 』 を刺される。

 そして、口を、麻酔用のマスクで覆われると、次第に意識が、遠のいていく。

 眼を閉じると、かすかに、クラッシック音楽が流れ、医師と看護婦さんの、
 明るい話し声が、広い、倉庫のような手術室に響いてるのを聞いた。

 わずかな時間の後、自分は、完全に、意識を無くしていた。

 
 眼が覚めたのは、3時間の手術の後、数時間が過ぎてからだった。

 おれは、我に変えると、先ず最初に、周りの家族に訪ねた?

  『 ねえ? 人工肛門は? 人工肛門は、無いよね!? 』

 なんとか、人工肛門だけは、免れたようだ...。

 何故、こんなに、おれが、『 人工肛門 』に、こだわるかというと、

 『 波乗りが、二度と出来なくなるから。』 だ。



2002年 10月 16日 ( つづき )

 病室に戻っても、体中に、いろんな管が付いたままだ。

 特に、鼻から、胃に通しているチューブが、息苦しく、喉の中で当たっていて、痛い。

 それから、両脇に刺さっている 『 ドレインチューブ 』の部分の痛みが強い。

 マックのドリンクのストロー程の太い管が、脇腹に、ザックリ垂直に刺さっている。

 これは、内部の状態の確認の為と聞いたが、正確な事は、忘れた...。

 当然、寝返りはできる状態ではないが、もし、うつ伏せに寝返り打っちゃったら、どんな恐ろしい事になるんだろうと、気が気ではなかった。

 
 実は、この手術は、主治医が執刀したのではなかった。

 主治医は、この日、突然、別の所で、『 胆石の手術 』を、受ける事になり、
 急遽、別の医師が、手術する事になったらしい。

 『 こういう事も、あるんだなあ...? 』 なんか、不思議な、複雑な心境になった。

 とにかく、一日も早く、この状態から開放されて、手術の成功を確認したいと思った。



2002年 10月 17日 ( 手術翌日 )

 朝起きると、全身のチューブ類の多さに、うんざりした。

 熱もあり、全身が痛い...。 痛み止めの点滴と、座薬を看護婦さんに入れてもらう。

 なんか、すごく恥ずかしいが、そんな事は言ってる場合じゃなかった。


 家族が、手術後、執刀医に、摘出した物を見せてもらったらしい。

 『 大腸の方は、なんか憎らしい顔してたよ。胆嚢は、真ん丸くて、卵みたいだった。』

 うーん、おれも、見てみたかったなあ...、なかなか見れるもんじゃないしね。

 『 胆嚢 』は、転移してなかったらしいが、肝臓に抗がん剤を投与する時に、邪魔になるので、
 摘出したとのことだった。

 肝動脈へ、カテーテルを通して投与する時に、胆嚢側に抗がん剤が流れてしまうと、
 効果が落ちるから、胆嚢への血管を封鎖したとの事だ。
 血管を封鎖すると、胆嚢に血液が流れず、『壊死』してしまうらしい。

 それにしても、胆嚢って、盲腸のように、簡単に取っちゃっていいものなんだろうか?と、
 単純な疑問が湧いた。
 医師に聞いた所、『 胆嚢は、脂肪を分解する働きをしてるだけで、影響はない。』とのこ とらしい。

 まあ、これで、大好きな『焼肉』 とかは、控えなきゃいけなさそうだ。

 でも、肉中心の食生活が、大腸ガンに導いたのかもしれないけどね。



2002年 10月 18日

 自分で、トイレに行くように言われる。

 腹筋に力が入らず、縫い目が開くような恐怖感に襲われる。

 『 しっかり、体を動かさないと、術後経過が悪くなりますよ。』 看護婦が言った。

 誘尿管を外してもらって、トイレに立つが、まったく出ない...。

 腹筋に力が入らないから、余計出る気がしない。

  『 出ないなら、また、管を入れますね。』 看護婦が煽ってくる。

 おれは、誘尿管を、入れるのも、抜くのも、死ぬほど嫌だった。

 『 男の物 』 は、「 入れられたり、出されたり 」、するような物じゃないからね...。

  『 ああ...、もうちょっと待って...、出るかもしんないから。(~_~;) 』

 看護婦さんが、誘尿管を持って、楽しそうに待っているので、焦った...。

 結局、出なくて...、また、管を通されてしまった。



2002年 10月 19日 〜 24日

 19日 : 自分で、排尿が出来るようになり、誘尿管、外れる。

 20日 : 水分を口に出来るようになる。

 21日 : スープが口に出来るようになった。
       初めての、排便ができた。
       これは、手術の成功を意味する...、めちゃくちゃ、嬉しい♪

 22日 : 3分がゆを食べる。 障子に塗る糊のようだ...、気持ち悪い。(>_<)
       ジュースが、好きな物を飲めるようになった。
       『 味があるもの 』 って、素晴らしい!

 23日 : 5分がゆ。 
       『 抜糸 』 をしてもらう。 
      ほとんど、痛みも無く、あっさり抜けて、驚いた。

 24日 : 全がゆ。
        両脇腹の、『 ドレインチューブ 』が、抜ける。
       あの太い、垂直に刺さったパイプが抜けて、やっと、安心して眠れると思った。
       抜いた後、穴が、少し開いていて、膿が出ている。

 日ごとに、いろんな物(チューブ類)が外れ、口に出来る物も、増えて、
 気分的に明るくなってきた。



2002年 10月 25日

 大部屋に移る。

 手術前の大部屋では、みんな社交的な人たちばかりだったが、
 なんとなく、今度の部屋の人たちは、沈んだ感じの人が多かった。
 昼間なのに、ベットの周りのカーテンを締め切ってる人が多い。

 しばらくして、隣のベットの人が、おれに質問してきた。

 自分は、ありのままに、病状を説明した。 すると...、

  『 おれのお袋と同じだ...、手術の後、すぐ、ポックリ逝っちゃったんだよなあ。』

  一瞬、耳を疑った...、そして、静かにつぶやいた...。

   『 ふざけんなよ。』



2002年 10月 26日  ( 外出許可 )

 やっと外出許可が出た。

 家に戻る途中、無性に、パチンコがやりたくなり、立ち寄る。

 背中を丸め、台に向かうと、いきなり、知り合いが声をかけてきた。

 『おう! ひさしぶり。 出ねえなあ?(~o~) 』

 ビックリした...、おれの病気の事を知らない友人で、相変わらず、能天気だった。

 結局、まったく出ないで、1万円を使って、店を出た。

 しかし、いつもの悔しさは無い...。 普通の人の、普通の楽しみが味わえて満足だっ た。

 家に戻ると、トッポが勢い良く吠え出した。

 抱っこをして、テレビを観たが、なんか落ち着かない、他人の家に来たようだ。

 まだ、退院じゃないし、体中が、重苦しいから、嬉しさも半分。



2002年 10月 29日 (肝動注化学療法 リザーバー設置手術 )

 肝臓に、直接、抗がん剤を送り込むための、カテーテル挿入の手術をする。

 細い血管の中に、管を入れる、かなり、熟練度を要する手術らしい。

 手術は、レントゲン室で行われ、血管を確認しながら、
 少しづつ、血管を傷つけないように、管を入れていかねばならない。
   
 自分は、『 知らない間に終わる 』 全身麻酔を希望したが、部分麻酔じゃないと、
 不都合があるとの話で、妥協するしかなかった。

 意識がある手術が、長引くのは、本当につらい。

 手術台は、鉄板のように固く、薄い。 手術には、体の沈み込みが、邪魔になるからだろうか?  背中が、死ぬほど痛い...。

 途中、気がおかしくなりそうになって、『 まだですか!? 早くしてください! 』
 と、叫んでしまう。

 太ももから、肝臓までは、かなりの距離がある、簡単には終わらない。

 
 3時間以上の時間、『 動き出したい衝動 』 に耐え、やっと、手術が終わる。

 その後、12時間、絶対安静となる。

 



2002年 11月 1日  ( 初めての抗がん剤 )

 初めての抗がん剤投与の日になった。

 実は、自分は、入院当初、抗がん剤治療を、拒否していた。

 『 患者○、ガンと闘うな! 』 という本を、読んでいたので、抗がん剤に、否定的な考  えが、頭に染み付いていたからだ。

 この本は、身内がガンになり入院している時に、ベストセラーになり、つい買ってしまっ  た1冊だった。

  しかし、主治医の熱心な説得と、家族の 『 前向きな治療 』への願望の前に、
  妥協する事にしたのだ。

  主治医が、『 5FUは、ほとんど、副作用が無いから、大丈夫だよ。』 と言った。

 投与は、4時間かけて、電動ポンプで、投与した。

 右の太ももの内側に設けた、10円玉大の、丸い突起(リザーバー)に、画鋲のような針を刺し、少しづつ送り込むのだ。

  投与が終り、起き上がるが、なるほど、なんの副作用も無い。

 自分は、付き添いに来てた家族を、病院の玄関先まで見送りに出た。

 手を振った瞬間、いきなり、強烈な胸の痛みに、うずくまった。

 家族に抱えられ、病室に戻ると、もう動けなかった。

 やっぱり、副作用は、あったのだ...。



2002年 11月 2日

 副作用が、ひどい...。

 吐き気、心臓の痛み、食欲不振...、最悪だった。

 でも、抗がん剤は、人によっては、ほとんど副作用が出ない人もいる。

 自分は、クスリに弱い体質なのだろう?

 しかし、せっかく苦労して設置したカテーテルだ、続けるしかない。



2002年 11月 5日  ( 退院 )

 『 退院  』...やっと、自由の身となる。

 しかし、肝臓には、大きなガンが、いくつも残ったままだ...。

 出来る事なら...、残らず、切り落として欲しかったのに...。

 まあ、とりあえず、病院からは開放されたわけだから、今は、素直に喜ぼう。

 



2002年 12月 5日  ( 術後初のCT検査 )

 初めて、退院後、肝臓のCT撮影をした。

 『 どうか、綺麗さっぱり、ガンが消えてますように...。』

 強く、強く...あり得ない奇跡を信じてみた。

 フイルムを見ると、大きなガンは、変化は無かったが、無数の星のような小さなガンは、 消えていた。

 確かな、小さなガンにだけは、効果的に抗がん剤が、働いてくれたのだ。

 もしかすると、このまま続けていれば...、大きいのも消えるかも?

 こころに、かすかに希望の光が差してきた想いだった。



2004年 5月  ( 現在 )

 今も、おれは、こうして生きて、パソコンに向かっている。

 しかし、肝臓のガンは、1年半近く、抗がん剤投与を続けてきても、消えていない。

 大きさは、ほとんど変りが無い状態だ...。

 でも、抗がん剤のおかげで、『 止まってる 』 のかもしれない?

 主治医の話では、

  『 転移が分かっても、肝臓が、極限まで来ているので、他の部位の手術はしない。』

  との事で、肝臓以外、一切、検査は受けていない。

 背中や、胸、腹部も痛むのだが、転移を知っても、抗がん剤以外、治療法が無いらしい。

 転移を知って、悩んで、免疫力を下げるより、知らない方が良いという判断だ。

 横になると、胸や腹部が圧迫されて、痛んで眠れない事が多い。

 自分の体が、今、どんな状態なのか、分からないのが現実だ。

 確かに、いろんな検査を受ければ、それなりの体への負担も、思わぬ出費もある。

  転移も無く、このまま、肝臓のガンが止まりつづける事を祈って生きていくしかない。


   今は、複雑な心境だ。

  長生きが出来る事は、こころから、本当に、うれしい!

  生きることは、生きさせてもらえる事は、本当に、うれしい!


 しかし、失業して、再就職ができない、今の状態が続く事は、経済的に苦しい。

 『 病人なら、働かなくてもいい。』 なんてこと、おれの年代では、許されない。

 この状態が、何年も続いたら...、おれは、住む家、あるんだろうか?

 年金受給までは、あと、30年弱ある...、治療に専念なんて、不可能だ。

 みんな、どうしているんだろう? 予想に反して、生き続けている人たち。

 
 今、おれは、すべての治療を止め、ガンを隠し、再就職への道を選ぶかもしれない。

 『 戻れる会社 』のある人、『 自宅で働ける人 』 は、本当にラッキーだと思う。

 
 福祉国家日本は、これから、急増するであろう、『働き盛りのガン患者』への、
 対応を考える時に来ているんじゃないだろうか?

 『 傷病手当 』が、1年半で打ち切るということは、

 1年半以上は、『 どうなろうが、関係ない。』 という事か?

 それとも、『 1年半もあれば、亡くなる。』 って言う意味だろうか?

 とにかく、ガン患者への補助は、驚くほど、何も無いのが、現実だ。

 すべての人間の体内には、必ずガン細胞は存在する。

 それが、いつ暴れだすか、だけの違いなのだ...、誰にも、他人事ではないと思う。


ガン患者に障害年金があまり活用されていないのはなぜか?

・ガンまたは病気 ≒ 障害(障害年金の障害状態)という発想があまりないから。
・現場である医療機関に障害年金制度を熟知している人が少ないため、
 なかなか教えてもらえる機会が少ない。
・ガンでも、どの状態、種類、症状でどの等級に該当するか分かりづらい。
 特にガンは転移して各所に症状が出ることもあるため、
 各部位ごとに認定されるのか全体的にみて認定されるのか分かりづらい。
 手術方法によって障害認定日が異なったり、治癒日の判断も難しい。
 このため、申請時期も分かりづらい。
・ガンの場合、若い年齢でかかることも多く、
 若い人ほど年金が受給できるという考えが浮かびにくい

JPC第88回常任幹事会という会の討議で

「現在の対象疾患だけでは不充分であり、多くの難病が対象とならないのは不公平であるとの意見は当然であり、さらには、糖尿病や癌が対象にならないのはなぜかという疑問の声も少なくはない」

という一文があり、以前透析患者は年金を受けられると聞いたことがあり、もう一度踏みこんで探してみました。

社会保険労務士さんのページに

「障害年金に詳しい社会保険労務士はほとんど皆無といってよいでしょう。
すなわち年金専門の社会保険労務士においてさえ、ガンや糖尿病の場合でも
「障害年金が受けられる」ということを知らない社会保険労務士は大勢います。
というのも老齢年金に比べて、障害年金は用意する書類や資料が多く度重なる法改正の経過措置により、受給要件が複雑であるにもかかわらず依頼件数が少ないために、充分な時間をかけて専門知識を習得し、あるいは自己研鑽や切磋琢磨するまでには至っていないのが現状だからです」

  ( ↑ 以上、大切な友人から寄せられた情報です。 )

  自分は、まずまずの生命保険に加入してました。

 だから、入院費や、手術代には、まったく困りませんでした。

 病院の休憩所で、一息入れている時に、若い20代の女性が泣いているのに出会いました。

 その人は、ご主人がガンと診断されたばかりの、若い奥様でした。

 生命保険に加入してなかったようで、『 ガン告知 』以上に、手術代、入院費に、
 心を痛めていました。

 『 主人には、どんな高額な手術をしてでも、助かって欲しい。でも、お金が...。』

 自分も、周りにいた、お年寄りの方も、つらい気持ちで、いっぱいでした。

 今の若い人は、しっかりとした生命保険に加入してない人が、多いようです。

 『 おれも、なんにも加入してないよ。 やっぱ、まづいよなあ...。』

 骨折で治療に来ていた、ヤンキ-風のお兄ちゃんも、つぶやきました。

 
 しかし...、もっと困るのは、退院してからです。

 『 自宅療養 』 が長引けば、長引くほど、生活が困窮してくるからです。

 今の時代は、『 半年会社を休めば、クビ 』、そんな時代です。

 実際、ガンで長期休暇を取った人の3割は職を失う、とのデータ-もあります。

  『 ガンと闘うと同時に、生活苦とも、闘う。』

 そんな、『 働き盛りのガン患者 』 が、この国にも、かなりの数、おられる事でしょう。

 
  同じような悩みを持たれてる方、どうか、メールでも下さいませんか?

  一緒に、励ましあいたいです。そして、がんばりましょう。(^o^)丿

 



2004年 5月 19日 

 最近、関節というか、いろんな骨が痛む。

 肝臓ガンのせいで、いろんな部分が、圧迫されているからだろうと思っていたが...。

 この間、主治医に話した時には、

 『 う〜ん、骨に転移してる可能性もあるね...、でも、ただの関節炎って事もあるよ。』

 って、気になることを言ってた。

  骨への転移だと、放射線治療になるんだろうな。

 骨シンチ検査は、数ヶ月前に、自分から提案したのだが、

 『 あなたの場合は、いろいろ調べて、転移が分かって、免疫力を落とすのが怖いから、
  取りあえず、考えてない。』 との事だった。

  今回も、骨への転移が考えられるのに、検査を提案してこなかった。

   どうなんだろう? 検査してもらって、スッキリした方がいいのだろうか?

  転移が発見されなければ、最高にうれしいが...。


  今日、ガン関係の情報を検索していて、初めて、ほんとに初めて、

  うれしい情報を見つけた。

           -------------------------


  埼玉県の『三浦病院』の医師が運営しているサイト。

   http://www.miura-hospital.gr.jp/index.html

  転移性ガンの動注化学療法を、研究して、35年と言う医師の話だ。

  【 転移性肝がんの動注化学療法 】

  大腸ガンなどの他の臓器のガンが、肝臓に転移した転移性肝ガンも、
  動注化学療法で、よく治る
  
  肝転移だけであれば、長期生存は、充分に可能である。
  完全に治る事も多い

   ----------------------------------

  これは、まさに、自分の施された手術の事だった。

 あの時、主治医に言われるままに受けた手術で、ずっと続けてきた治療だ。

 でも、眼に見える明らかな効果が無く、『 もう、辞めてしまおう。』 と思っていた
 矢先の治療法だった。

  でも、今はは、思い直した。

 この記事を読んだら、辞める気にはなれないから、

 もう一度、信じて続けようと思えたから。


   こんな、うれしい記事は、初めて発見した!

   今まで、読んできた記事では、例えば、

  > 『 2年も、生存した例もある。 』
  なんての、ばっかりだった。

( だって、手術から1年半過ぎてんだよ、2年も、って言われたって...、あと半年だもん、喜べないよ。そんな記事。)

  > 完全に治る事も多い。

    ↑  これだよ! こういう言葉...、ずっと探してたんだよね。(~o~)

 医師の言葉で、『 治る 』 という、はっきりした言葉ほど、勇気付けられる事は無い。

 でも、身近な医師は、責任問題を抱えているから、それを口に出す事は、

 『 無責任 』 だと、思ってしまうのだろうか? 耳にする事は無かった。

  でも、患者は、いつも、そういう言葉を、待っている。

 たとえ、それが、時には、社交辞令だとしても...。
 



2004年 12月 17日 CT検査結果

 最近、胸部や背中の痛みに加えて、
腹部の強い痛みが出てきた。

 大腸ガンは、切除手術から、まだ2年しか経ってないし、
大きいのは、取ってもらった...、
 大腸ガンの進行は、一番ゆっくり進むはずなのに、なぜ?
この腹部の痛みは、なぜ?
...と、思っていた。

 肝臓のガンが、進行すると、腹部の痛みも、出るんだね?

 比較的、腫瘍が少なかった左側の部分に、
今回、はっきり腫瘍の増大が見られた。

 【 CTの画像は、家に帰ってから、思い出して描いたので、いい加減かも? 】 

 『 これだけ大きくなると、痛いだろうね? 』 と、主治医。

 抗がん剤投与開始してから、しばらくは、縮小してたんだけどなあ。

 『 だんだん、効果が落ちてきたのかもしれないね...? 』

 主治医が言うまでもなく、CT画像を見れば、一目瞭然。(~_~;)

 『 でも、先生が、この治療してくれたから、2年も元気で生きられたんですから。(~o~) 』

 どうしても、主治医に感謝の気持ちを伝えたかった。

 『 でも、これが、絶対の治療って無いんだよ...、絶対は無い。
 すべて、結果論でしかないんだよ。
 患者が納得できる治療が、ベストなんだよ。』

 おれにも、『 納得できる治療 』 なんて、わからないっすよ、先生。

 『 飲み薬の抗がん剤 』 ( TS-1 )か、( ユーゼル、UFJ )の投与、
の提案を受けた。
でも、『 何も、治療をしない。』っていう選択肢もあるよ...とのこと。

 そうなんだよね? どうなるか、分からない事を選択するんだから、
医者でも分からない事を選ぶんだから...、
患者の選択肢は...、『 なんでも、有り。 』

 『 次回までに、今後の事、どうするか...、じっくり考えてきてよ。』

 『 先生...、もし、抗がん剤やめるって言っても、来てもいいですか? 』

 『 何、言ってるの? 来て言いに、決まってるだろ! 』

 ...良かった。 ホッとした。

 




2004年 12月 24日 緊急外来へ

メリクリだっぺ♪ 投稿者:ひろっしゃん  投稿日:12月25日(土)01時38分59秒

 今日は、夜、病院に緊急外来で行ってきました。(^^ゞ
急に、モーレツな痛みが来て、
寝ても、座っても、立っても...めちゃんこ痛くて。
あばら骨が、内臓に突き刺さってるような、
信じられない痛み。(>_<)
息を吸い込むたび、凄い痛みなんだけど...、
『 くう〜〜!』って、声出ちゃうから、
息吸わないわけにいかなくて...、思わず、病院行った。
 そんで、座薬の痛み止め、もらって入れたら、
いくらか治まってきた。
ロキソニンで、いつも誤魔化せてたんだけど...、
今回は、ハンパじゃなくて。
 麻薬系の痛み止めも、処方してもらってきました。
注意事項見たら...、
【 意識の混乱、興奮状態、幻覚、けいれん、...。】
なんて書いてあったので、ビビッたけど。(~_~;)
 きれい事じゃ済まない、激痛には、
クスリなんか選んでられないもんだと、知りました。
もう、病院から戻って来れないかと、マジで思いながら、出かけたけど、
こうして、何事も無かったように、復活してます!! (^o^)丿
 『 すげえでしょ? おれ。』

 とりあえず、クスリが効いてるうちに、寝ちゃおうと思います。
今年は、『クスリマス イブ』になっちゃったわ。
明日こそは、クリスマスを楽しまないといけないからね。(~o~)
 おやすみなさい。(^o^)丿

 =======================

  ※ ある人から、メールで、教えてもらった事です。
 掲示板だと、消えてしまうので、
 ここに貼り付けておきます。  

 痛み止めは怖がらないで使ってください。

疼痛緩和に使う場合、中毒になることはないそうです。
そして、痛みは大きく分けると3つの原因があるそうです。

 @ 腫瘍が神経を圧迫、もしくは刺激している。

 A腫瘍がある大きさになると身体の細胞が、

大量の免疫物質を放出して攻撃するため痛む。

 B 記憶の痛み。

実は、@が痛みの原因の殆どで、
だから消炎鎮痛剤がよく効くのだそうです
(ロキソニン、ボルタレン等)
そしてBが、一番今後に影響が大きく、
人間は一度痛みを味わうとその記憶によって更に苦痛を
大きく感じるのだそうです。
だから、痛みの記憶を作らない、
つまり痛みが出る前に鎮痛剤を使う・
我慢しないことが大切なのだとか。
痛みの記憶をなるべく作らないようにしていると、
結果的に最小限の鎮痛剤で済むそうです。

痛みは、それだけで「体力」と「気力」を奪ってしまいます。
でも、痛みと病状は即イコールという訳では決してないから、
疼痛をまず緩和して、体調を整えて、
そこから新たに進むこが出来ると思います。

モルヒネは少し高価なので「MSコンチン」という鎮痛剤を処方してもらう手もあるそうです。
これもモルヒネの一つなのですがモルヒネよりも安く、比較的安全に使えるそうです。
乳ガンの方でこれを使いながら都心で仕事をしている方がいます。
以上は、以前、疼痛緩和の専門医から教えていただいたものです。



2005年 1月 4日  ドラマじゃないから

 ガン 4b ...W期 、手術で腫瘍の摘出、不可能...。

 あの時、おれは、
 『 もう、終りだ...、もうすぐ死ぬ。』、
 そう信じて、疑わなかったんだよ。

 でも...、
『 なに? なんなの? おれ、まだ生きてんじゃん!? 』

 『 ガンのドラマ 』、いろいろ観て来たけどさ、
 どの主人公も、ピタピタ、予定通りに死んでたのに...。
 まあ、お情け程度で、『 1ヶ月位、予定より長く生きた。』
 みたいなのは、いくつか、あったけど、似たような結末。
 
 おれ、ガンの知識は、『 ガンのドラマ 』 しか、無かったんだ。

 だから...、告知された時、すごく取り乱したんだ。
 やっぱりさあ...、死なせちゃダメだよ。
 フィクションなんだから、脚本家の気持ち一つでしょ?
 そりゃあ、死なせりゃね、みんな泣くよ、視聴者。
 『 すごく、いいドラマだった。』 って、マスコミも、大騒ぎ!

 もうさあ、『 ガンで死んでくドラマ 』、辞めたら?

 この間やったドラマでさ、
 『 もうダメ 』って、思わせといて、
 元気に復活したの、あったでしょ?
 『 おおっ! やったー! 』 って、思ったよ。
 作り話なのに、なんでか、すご〜く嬉しかったなあ。
 でも、死なせなかったから、中には、
『 期待はずれ 』って、思う視聴者も、いるんだろうね? 
 『 号泣き 』 出来ないからね?

 おれは、まだ、『 期待はずれ 』 に、なれてないかな?
 
 『 絶対、ガンに負けない! 』 なんて、言えない。
 でも、まだまだ、がんばる。

 ドラマとは、違うからね。

 



2005年 1月7日  『 10分って、長いの? 』

 『 次の時までに、今後の治療どうするか、考えてきてよ。』
 と言われてて...、ついに、その日になった。

  でも、いくら考えても、悩んでも、決められなかったんだ...。

 『 飲み薬の抗がん剤 』 ( TS-1 )か?、
 ( ユーゼル、UFT )の投与か?、
 今までの5FUを再度、増量してみるか?
 まったく、抗がん剤を辞めるか...。

 診察室に入ると、主治医が、さっそく、聞いてきた。

 医: 『 どう? 決まった? 』
 主治医が、ぶっきらぼうに、カルテに眼を通しながら、聞いてきた。
 ひ: 『 はあ...、なんか、まだ迷ってます。』
 医: 『 ええっ!? これだけ時間あったのに、決めてないの!? 』
 ひ: 『 大体、決めてるんですが、
  先生の話、もう少し聞いてからと思って...。』
  医: 『 だから、言ったでしょ!? 何が良いか、分かんないって。』
 ひ: 『 はい...、でも...まだ、
     TS−1とか、ユーゼルとか、名前しか聞いてないし...。』
 医: 『 だから、そんなの...、いちいち説明したって、
      やってみなきゃ、分からないんだから、意味ないでしょ?
      って言うの! 』
 ひ: 『 ああ...、はい、そうっすよねえ...? 
      やってみなきゃ、わかんないんすよねえ...。』
 医: 『 もう〜! この場に来てから、悩まないでよ! 』
 なんか、今日の主治医は、機嫌の良くない日みたいだ。
 だいたい、質問すると、顔色が変わって、機嫌が悪くなる。
 ひ: 『 ただ...おれ、命に関わる事だから...。』
 医: 『 それは、分かってるよ! 
      でも、私も神様じゃないから、医者も、
      何も分からないって言ってるの。
       とにかく! やらなきゃ、分かんないの! 』
 ひ: 『 TS-1を実際に使った人の話とか、分かればいいなあ
     なんて...思ったりして...。 あはは...。』
 医: 『 だから、何度も言ってるでしょ!?
      他人のデータ―は関係無いんだって!
      その人に効果があっても、あなたに効くとは、限らないの! 』

 ひ: 『 ああ...はい...、じゃあ、TS-1で...。』
  自分は、食堂で注文してるような気分で、抗がん剤をオーダーした。

 医: 『 TS-1で、いいのね!? 
      じゃあ、来週、TS-1の事、詳しく書いた冊子渡すから、
     来週から、やってみましょう。』
  ええ〜〜〜!? 冊子なんか、あったんすかあ〜!!??
 あるなら、先に見せて欲しいよ〜!!
 やるって、決めてからじゃないと、見せてくれないシステムなのか!?

 10分くらいの診察を終えて、診察室のドアを閉めると、
 順番を待ってる次の人が、いきなり、口を開いた。

 おばちゃんA : 『 そちらさん、いつも診察時間、どのくらいなんですか? 』
 おばちゃんB: 『 あたしは、いつも、クスリ出しますね?って言われて、
           「 はい 」 って、言うだけだから、すぐですよ。』
 おばちゃんA: 『 そうよねえ? そんなもんよねえ? 』

 そっかあ...、おばちゃんたち、『 おれの話が長いよ! 』 って、
 言いたかったんだね...?

 すみませんね、10分も、時間取っちゃって!

 この時、ちょうど12時だった。
 それで、おれの順番表が、『 47 』 だった。
 3時間で、50人弱の患者を、あの先生ひとりで、診察してる事になる。
 『 ひとり10分 』 かけてたら、500分だから、8時間以上かかるね?
 そうかあ…先生の、あのイライラは、仕方ない事なんだなあ...。

 でも、おれは、決めたよ!
 『 聞きたいことは、しつこく聞くよ! 』
 忙しいのは、病院のやり方が、悪いんだよ!
 おれには、関係無い! 
 こっちは、命がかかってんだからね!

 あの、おばあちゃん達みたいな、『 YESマン患者 』 ばっかりだから、
 いつまでたっても、『 流れ作業診察 』が、改善されないんだよ!
 2年以上通院してて、一度も、おれの体に触らない主治医って...?
 とりあえず、服まくって見せたら、押すとか、なんか、して欲しいよ。

 でも、最初の病院の医師が、あれだったから...、
 『 こんなもんか? 』 って、ガマンしてるんだ。

 だけど思うんだよね...。
 『 若い医師は、なぜか優しくて、親切な人が多い。』

 この間の緊急外来の医師、すごく親身だった...。
 こっちが恐縮するくらい、優しくて、細かく説明してくれたよ。
 主治医が休みの時、代わりの若い医師、
 すご〜く、親切だったなあ。
 恐る恐る、副作用の事聞いてみたら、ものすごく細かく教えてくれた。
 この時とばかりに、いろいろ聞いちゃったよ。
 でも、若い医師は、イライラしなかった...。
 最初の病院の息子の医師も、優しかったなあ。
 オヤジの医師とは大違い、少なくても、おれの体、心配してたよ。

 今の主治医も、若い時は、きっと、そうだったかもね?
 ただ、何十年もやってきて、変わっちゃったんじゃないかな?

 今日ね、ほんとに主治医に言って欲しかったのは、
 抗がん剤の商品説明じゃなくて、

 『 この抗がん剤は、期待できるから、やってみようよ。』

 みたいな言葉だったんだよ。
 もし、効果が無くても、おれ、先生を恨まないし、
 文句なんか言わないよ。
 だって、知ってるもん、『 抗がん剤の効果の現状 』 。



2005年 1月11日  病院、かわろうと思うんだ。

 正月、体調の関係で、実家に行けなかったので、
かわりに、姉と兄貴が、うちに来てくれた。

 それで、今日、姉から電話があった。
姉は、最近、管理栄養士として、ある病院に勤め始めた。
この間、おれが、抗がん剤の話をしたから、
姉の病院の医師に、いろいろ聞いてくれたらしい。
その医師によると、

 『 *TS−1も、ユーゼルも、同じ 5FU
 *副作用も、おそらく同じようだろう。
 *肝臓の腫瘍を縮小させるなら、やはり、
 肝動注のが、効果的だ。
 *肝動注でも、別の抗がん剤も、選べる。
 *回数が、少ないのも、問題かもしれない。
 できるだけ、投与回数を増やした方がいい。
 *値段は、TS−1が、9万円/月、
 ユーゼル&UFTなら、20万円/月。 』
 ( 高いんだねぇ...、知らなかったよ。)

 などなど、いろいろ、教えてくれた。

 投与の 『 回数の問題 』...、
 これには、理由が二つあったのね。
 ひとつは、『 副作用で、体力が落ちるのが怖かった。』
 もう一つは、『 病院が遠く、交通の便が悪い。』

 行く時は、なんとかなるんだけど、帰りがね。
 だから、家族に、会社を早退してもらって、
 迎えに来てもらってたんだよね。
 でも、毎週とか、2週間置きとかじゃ...、
 会社の方が、ダメみたいなんだよね。
 正社員で勤めてる人なら、なんとか大目に、
 見てもらえたりするんだろうけどね...?
 ( 収入が、途絶えると、おれも病院行けなくなるし。)
 だからね、3週間に1回の投与にしてたんだ。

 でもね、今日、姉が、うれしい話してくれた。
 姉の病院に紹介してくれるって言うんだ。
 そこの病院は、歩いて3分、駅の近くだからね、
 なんとか一人で、電車に乗って、帰れる。
 ほんとに具合が悪い時は、姉が、『中抜け』して、
 家まで、クルマで送ってくれるって...。
 それにね、今までは、『投与日は何曜日』、
 って決められてたけど、融通効くらしい。
 土曜日の投与も、考えてくれるかもしれないって。

 そこの医者は、おれと同い年位で、
 すごく親切で、説明も良くしてくれるらしい。
 今の病院の紹介所無くても、受け入れてくれる
 って、言ってくれてるんだ。
 
 だからね、決めたよ。
 その病院に、移ろう、ってね。
 
 そろそろ、セカンドオピニオンも聞きたかったしね。
 ちょうどいいタイミングかもしれない。

 新しい病院で、お金の負担も少なくて、効果的だと言う、
 『 5FUの肝動注 』、続けてみるよ。

 もう少し、回数や、量、増やしてね。
 キツイのは、分かってるけど...、
 心配してくれる人を、ガッカリさせたくない。

 でも、本当にキツイ時は、辞めるよ...。
 過激な副作用は、『逆効果』って、思ってるからね。

 とりあえず、もう少し、がんばってみるよ。
 俺の場合、『 諦めるのは、早い。』
 かも...しれないからね。

 それにさ、『 海に戻る 』 って約束、果たさなきゃ
 『 ハッタリおやじ 』 に、なっちゃうしね。。


 



2005年 1月 14日  転院の話を、主治医に伝える。


 いつものように、金曜日、今までの病院に行った。
 今回は、ドキドキしながら順番を待ったよ。
 『 転院 』 の事、伝えなきゃいけないからね。

 診察室に入ると、いつものように、

主治医  『 どう? 調子は...。』
俺 『 はあ...、今朝は、38℃位熱があります。』
主 『 で、治療の方だけど...、』
俺 『 あっ! それで...なんですけどね、
    この間、TS-1って言ったんですけど...、
    やっぱり、最初、肝動注やって、効いたじゃないですか?』
主  『 ああ、効いたね。』
俺  『 だから、もう一回、回数増やして、がんばろうかと...。』
主  『 あっ、そう。 でも、効かないかもしれないよ。』
俺  『 はあ...、でも、なんとなく...、やっぱり...。』
 ( この間、回数が足りなかったからかな?
      って、先生も言ったんだけどな?)
俺  『 それでですね? 毎週だと、
     投与が難しいって、言いましたよね。
     副作用も、そうですが、交通の便の関係で...。
     だから...近くの病院で、毎週投与してもらおうかと...。』
主  『 えっ!? 転院するって、事? 』
俺  『 ああ、はい。 姉が、近くの○○○病院に働き出して、
     そこだと、土曜日でも、診てくれるらしくて...。』
主  『 ああ、そう。いいけど...カルテ見たら、受け入れないと思うよ。
     途中からじゃ、嫌がるからね、何処の病院も。』
俺  『 はあ...、そんなもんなんですか? 』
主  『 じゃあ、とりあえず、紹介状とか書くから、外で、待ってて? 』

 1時間位して、診察室の外で待ってると、
 看護婦さんが、大きい茶封筒に入った資料袋をくれた。
 その後に、主治医が、来て、

 『 もし、そっち行って、向こうの先生に断られたら、
   また、戻ってきなよ?
   とりあえず、来週の予約、入れとくからね。』
 
 珍しく、先生が、笑顔で、そう言った...。

 涙が、出そうになった。
 今、こうしてPCのキーを打ってても、めちゃくちゃ、
 涙が出てきて、止まらない...なんでだろう?
 たくさん、不満持ってたのに、なんで止まらないんだろう?
 



2005年 1月 15日 ( 土 ) 転院先の病院へ

 大きいレントゲンの入った資料袋を持って、
 新しい病院の玄関をくぐった。

 ビックリするほど、院内がコンパクトだった...。
 今までの病院が、巨大な要塞のように思えた。
 正面に、外科医、内科医の先生の名前が掲げられている。
 外科、内科とも、10名、10名くらいだ。
 どうなんだろう? この建物からすると、
 『 余裕のある人数 』 ...と言えるだろうか?

 余分なスペースが、まったく無い。
 玄関を入って、左に受付、前は、待合席、奥が診察室、
 右手の通路沿いには、処置室、検査室等が並んでいる。
 
 なんか、この無駄が無いと言うか、贅肉を落とした院内のつくり、
 『 期待出来る。』 と思った。
 立派な、つくりだと、病院経営的に、医師に負担が来ると思う。
 利益を確保するために、患者一人の単価を増やしたり、
 診察時間を、切り詰めなきゃダメになると思うから。
 
 受付を済ませ、待合室に待っていると、姉が白衣を着て、
 上の階から降りてきて、一緒に順番を待った。
 しばらくして、姉だけが、診察室に呼ばれて、医者の説明を聞いた。
 めちゃくちゃ、話が長かった...。
 姉は、おれのレントゲンを見るのは、この日が、初めてだった。
 30分以上してから、姉と入れ替わりに、入室した。

 『 外科医長 』 と言う事だが、すごく若い。
 見るからに温和で、普通の 『 気のいい人 』 に見える。
 でも、不安だった...、姉の話が長かったので、
 もしかしたら、『 受け入れられません。』 と、
 言われたらと...、内心ドキドキだった。
 
 しかし、お互い、自己紹介をして、治療の話をした頃には、
 もう、何年もお付き合いしている雰囲気になった。
 患者をリラックスさせるのが、すごく上手な人だ。
 医者特有の 『 威厳 』 が無い。
 もしかしたら、あと10年後くらいに、変わるのかも?
 でも、そんな事無いよな? 性格だよな?やっぱり。
 とりあえず、ホッとしておこう。

 しばらくして、診察台に載り、触診をしてもらう事になった。
 『 ウグッ! 』 何度も、唸った。
 特に、胸より、下腹部の方が、激痛が走る。

 『 これは...、腹膜炎かもしれませんね? 』

 『 5FUの肝動注が、ベストだと思ってましたが...、
  腹膜の方も考えると、TS-1 の方が...? 』

 肝臓のガンを叩くには、肝動注が効果的だが、
 その他の部位には、ほとんど効果が望めない。

 『 じゃあ、TS-1 をお願いします! 』

 迷うことなく、伝えた。
 今、この病院で、どんな人が、どの抗がん剤治療してて、
 どんな症状で、どのくらいの副作用が出てる。
 そんなことも、隠さず、ありのまま話してくれたから、
 納得して、決める事が出来た。

 『 ガン性腹膜炎 』 かもしれないのは、ちょっと凹んだけどね。

 『 TS-1 』 は、『 TS-1 カプセル25 』 という品名で、
 クスリには、『 TC443 』 という記号が入っている。
 ( 写真の上が、TS-1、下が、MSツワイスロン )

 『 MSツワイスロンカプセル 10mg 』 は、よく耳にする、
 『 MSコンチン 』 の、カプセルタイプらしい。
 モルヒネ系の鎮痛剤で、持続力が長いらしい。

 処方は、
 
 朝、 TS−1 2カプセル と、MSツエアイスロン 1カプセル
 夜、 TS−1 2カプセルのみ。

 2週間、飲み続け、血液検査を受ける。
 もし、異常が無ければ、もう2週間続ける。
 つまり、4週間飲んで、2週間休むを、繰り返していく。

 ( 詳しくは、下記のサイトを参照してください。)
 http://www.taiho.co.jp/medical/TS-1/ts-101.html

 とにかく、おれは、新しい抗がん剤で、
 『 共存 』 を始めた。

  死ぬのは、分かってる!
  ガンが、無くなるなんて、思ってねえよ!

  でも、おれは、生きてやるんだよ!!
  ガンを抱えたまま、やりたい事をやってやる!!
  『 悟りを開くには、まだまだ、早えんだよ! 』



2005年 1月 23日  感謝してます。

 最初の小さな病院

 『 きつい告知 』 されちゃったけどね、
 もう、恨んでなんか、いません。
 あの時、ハッキリ言ってくれて、良かったです。
 最初は、お陰様で、絶望の淵を歩いたけど、
 逆に、『 生きてやる! 』 って、気力も沸いたから。
 『 もう、手遅れ。何をやってもダメ! 』
 そう言われたから、見返して見せたくて、
 こんなに、がんばれたのかもしれませんね。
 あなたは、きっと、こんなになるまで、放置しておいた、
 おれを、許せなかったんでしょうね?
 だから、腹が立って、あんな言い方したんですよね?

 手術を受けた病院
 
  完璧な、大腸の手術、ありがとうございました。
 それから、『 肝動注 』 の提案をしてくれて、
 正確なカテーテルの設置、ありがとうございました。
 おけげで、今日まで、元気です。
 この1日1日は、先生からのプレゼントだと思っています。
 看護婦さんも、みんな、すごく優しかったです。
 入院生活は、すごく楽しかったのを覚えています。
 外来で行ってた時も、何度も遊びに行こうと思ったけど、
 照れ屋なので、一度も行けませんでした。
  主治医の先生とは、本当は、もっと親しくなりたかった。
 2年以上の付き合いだから、できれば、もう少し、
 冗談とか言えて、仲良くなりたかったです。
 でも、あなたは、本当に忙しすぎる人でした。
 それだけが、残念な気がしています。

 今度の病院

 いきなり、無理を言って、受け入れて下さって、感謝しています。
 おとといも、いきなりで、予約も無いのに、
 嫌な顔せず、たっぷり時間を取ってくれて、うれしかったです。
 患者が 『 伝えたい事 』 を、すべて言ってから、
 説明を始める、その姿勢にに感動しました。
 患者の立場に立って、我慢強く説明してくれて、
 『 一緒に、頑張りましょう! 』
 ...そういうの、すごく、うれしいです。
  医師の先生たちに、そういう時間を、余裕を、
 与えてくれてる、病院経営者方にも、感謝です。

 この闘病記というか、このHPのこと(URL)、
 親兄弟、親類、友人、主治医...、誰一人、教えてません。
 知っているのは、一緒に生活してる家族だけです。
 なんか、照れくさくてね...、知られちゃうとね。
 みんなに、『 ひろっしゃん、こんな事書いてるぞ! 』
 なんて、バレちゃったら、
 カッコつけて、書いちゃうに決まってるし...。
 見られても、恥ずかしくない事しか、書けないと思うのね。
 ほんとは、見栄っ張りだから、
 『 ガンなんて、どうって事無いよ! 』 
 みたいに、脳天気に見られたいのが本音。

 でも、もうそろそろ、教えようと思ってる。
 もう、いろいろ 『 本心 』、書き終えちゃったからね。
 『 もう、いいかな? 』 って、思えてきたんだ。
 とりあえず今は、先生方には、このメッセージも、
 伝わらないでしょうね。
 でも、やっぱり、気持ちを書いておきたくなったので、
 今、こうして残しています。

 体調は、『 痛み 』 の面では、だいぶ良いです。
 だんだん、クスリでコントロール出来るようになりました。
 『 TS-1 』 の副作用は、ちょっと吐き気があるくらいです。
 あと1週間後に、血液検査して、
 白血球と、骨髄が減少しなければ、バッチリです。
 食欲無いけど、がんばって、食べています。
 栄養を取り込む事、楽しく過ごす事
 それくらいしか、自分では、できる事ないからね。

 だいじょうぶです。 すべて、順調です! (^o^)丿





2005年 1月 28日  今日は、だいぶ元気です

 『 TS-1 』 の投与を始めてから、もうすぐ2週間
だったのですが...。
おととい、主治医に電話して、投与を休止しました。
 明日の血液検査を前に、『 ちょっと、待った。』 です。

 4、5日前から、咽喉、食道、胃が、燃えるように熱く、
物を飲み込むと、イガイガ感が酷くなってきてました。
それで、栄養分が摂取できなくて、かなり痩せてしまいました。
おとといには、水を飲むのにも、四苦八苦状態で...。

 TS-1の投与中止基準は、『 激しい下痢 』 らしいですが、
自分の場合は、逆に、4、5日、便秘で、下腹部の痛みが、
酷かったです。
これは、主治医の話だと、『 腹膜のガン(?) 』 が、
大腸や胃に、『 いたずら 』 してる可能性があるから、との事です。
それに、モルヒネ系の鎮痛剤も、便秘を引き起こす可能性も
あるらしいです。

 いずれにしても、今回は、『 TS−1 』 投与の、
タイミングが悪かったのかもしれませんね?
 今後の事は、あらためて、明日、相談します。

 今日は、咽喉や食道の痛みが、だいぶ治まってます。
久しぶりに、便通もあったので、下腹部も、だいぶ楽です。
 朝、パンとコーヒーも摂れました。 
この調子で、体力が戻れば、入院して、点滴せずに済みそうです。

  今日は、ほんとに調子がいいです。
1週間ぶりに、縁台に出て、『 日向ぼっこ 』 も出来ました。
この調子で、少しづつ、元気を取り戻したいです!

 体調が回復したら、また、
『 生きるため 』 に、治療にTRYです。

 『 1日でも、長く生きる事。 』

『 意味が無い 』...、と言う人も、いるでしょう。
でも、僕には、その1日1日は、とても、かけがえのない
『 大切なもの。 』

 



2005年 1月 31日  TS-1から、UFTへ

 今日は、だいぶいい。
夕べは、痛かったので、ボルタレンにした。
モルヒネ系は、便通の関係で、控中。

 TS-1は、合わなかったので、
『 UFT E顆粒 』 というのを、
あらたに、処方してもらった。
毎日、朝、昼、晩、3回飲むタイプ。
その上で、週一、注射で、
効果UPのため、なんとかって言うクスリ
30分かけて、投与するらしい。
これが、合わなかったら、
5FU関係の抗がん剤は、辞めるとの話。

10人に、2人くらいは、
『5FUが、合わない。』
という患者がいるそうだわ。
とりあえず俺は、飲む事にしたよ。
肝臓優先ではなくなったみたい...。
大腸ガンの方を、押さえ込んだ方が
良さそうな状態らしいね。
大腸ガンには、5FU系が、一番なんだって。

まあ、このクスリが合わなくても、
まだ、いろいろ手は、あるらしい。
おれも、あきらめないよ。

それに、内心、おれには自信があんだ。

何もやらなくても、生きる。
生命力には、自信がある。

でも、とりあえず、現代医学にも、
応援してもらう事にしたんだ。

ところで、この闘病記(?)
誰かの、なんかの役に、なってるのかな?
最近、疑問になってきたよ...。
『 削除しちゃおうかなあ? 』
と、ふと思った。





2005年 2月 3日  

   
  『 飲めなかったよ 』

 結局、クスリを飲めなかったよ...。
 本当なら、今日から、新しい抗がん剤を飲む予定だったんだ。
 でも、どうしても飲めなかった。
 新しい抗がん剤と、水の入ったコップを前に、ずっと悩んでたよ。

 前のクスリの副作用が抜けて、今日は調子が良かったんだ。
 少しだけど、ご飯も食べられた。
 1週間以上、何も食べられなくて、ずっとフトンで唸ってたのに...。

 たぶん、副作用のせい、だけじゃなかったとは思うんだ。
 どこかで、風邪でも、貰ったのかもしれない。
 吐き気と、腹痛が、今年の特徴らしいからね。
 どれが副作用で、どれが疼痛で、どれが普通の風邪か、分かんない。

 でも、痛みは、相変わらずだけど、とにかく楽になってきたのは事実。
 だから、新しい先生が、一生懸命考えて、出してくれたクスリが、
 飲めなかったのが、ただ情けないし、申し訳ない気分。
 
 『 少しでも、楽な方が、好き。』

 今の正直な、こころの、体の叫びです。

 やっと今日、少し元気になったのに...、
 逆戻りするかもしれないのが、怖かったんです。
 
 でもね、もっともっとツライ治療に耐えて、頑張ってる人が、たくさんいる。
 分かっているから...情けないんです。
 
 だけど今は、投与しないで体調を戻して、もっと元気になって、
 絵が描きたいし、できれば、海に行って、写真撮りたいし、海釣りもしたい。
 そう、願ってしまいます。
 治療を止めてたら、ガンが、進行してしまうかもしれないのに...。

 おれは...、弱いなあ。
 
 でもね、決して、生きる事は、あきらめないよ!

 はあ〜...でも 『 治療を、休みたい気持ち 』 に今、
 負けてる俺が言っても...説得力ないね? ...反省。
 



2005年 2月 5日 診察

 『 どう? 飲みました? UFT 。』
 真っ先に、聞かれた。
 『 あっ、それが...具合が悪かったので...。』
 『 う〜ん...やっぱり無理かなあ? 5FU関係は...。』
 『 ああ...、飲みますよ! もう少し元気出たら。』
 『 う〜ん...、でも、あんまり無理してもねえ? 』
 『 そんで、変わりに、元気が出る治療も、
   してもらえないですか? 』
 『 体調落ちてく一方だと、免疫力下がりますよね? 』
 『 ああ、確かに、それは、そうです...。』
 『 なんか、ないですかね? 』
 『 じゃあ...○○○○○でも、点滴してみますか!? 』
 免疫UPになるかもしれない、○○○○○も、点滴してもらった。

 結局、今日は、それも点滴してもらって、帰ってきた。
 とりあえず、UFTとシスプラチン、&○○○○○(これは、2週間に一度にした。)
 の併用を試す事にした。


 帰り際に、看護婦さんに、CTのフィルム返された。
 前の病院に、戻すらしい。
 そしたら、袋が開いてたので、中を見た。
 今までの、腫瘍の変化が、バッチリ分かった。
 とりあえず、デジカメに、保存させてもらった。
 ( もちろん、ここで公開する気は無いよ。気分悪いもん。)
 もう転院する気は無いけど、これがあれば、
 セカンドオピニオンどころか、フォースでも、
 テンスオピニオンでも、バッチリでしょ?
 医師に、これ見せれば初診から、かなり有効。

 そんで、所見みたいの書いてあった。
 『 肺 』、『 腎臓 』
 転移してるの、初めて、ハッキリ分かった。
 でも、まだ、かなり小さいので、大丈夫。(^o^)丿




2005年 2月 6日  お詫び

 昨日の 『 共存の記 』 に、不適切な、記述が、あったことを、
 心より、お詫びし、一部、書き直しました。
 すみませんでした。

 自分は、『 東洋医学 』 とか、『 健康食品 』 を、
 否定する者では、ありません。
 いろいろ、有効な物も、あると思います。
 『 ひろっしゃんワールド 』 に、書いたように、
 メシマコブ、ウコン、プロポリス...、
 最初、いろいろ、買いました。
 どれも、数千円の物ばかりです。( 1か月分 )

 今でも、正直、密かに、期待もしたりしてます。
 でも、こんな安い物でも、飲み続けるとなると、
 生活費、治療代に、響いてくるんです。
 だから、今は、飲んでないだけです。

 お金の余裕のある人は、買えるけどね...、
 買い続けたくても、買い続けられないんですよ。
 それに、辞めた時から...、不安が増してきます。
 『 もしかしたら、メシマコブ飲まなくなったから、進行したのかな? 』
 とか、逆に、今、不安なんですよ。
 『 コレ、安いから、効かないかなあ...? 』
 とか、思いながらも、飲んでましたね。

 だから、
 できれば、分かって欲しいです。
 否定は、してないんです...。
 ただ、常識の範囲を越える価格の、健康食品は、
 否定させていただきますが...。

 これからは、『 共存の記 』 も、書くときは、
 極力、慎重に考えてから、書きますね。
 済みませんでした。

 



2005年 2月 19日 

 この間の血液検査の結果を、
コピーしてもらった。

 CEA(腫瘍マーカー)が、
『 500H Ng/ml  』...?
『 H 』 って、言う事は...?
500.0 以上で、測定不能ってことか?

う〜ん...正確な値が知りたいなあ。
測定機器が古いのかな...? (^^ゞ

平成13年
CEA =  2.5 Ng/ml
平成14年 ( がん告知直前健康診断 
CEA = 53.8 Ng/ml
 ( * 基準値...5.0 以下 )

他のデータ-も、軒並み、基準値外だ。

でも、もしかしたら、
そんなに深刻な値じゃないかな?
勉強不足を痛感してるよ。

まあ、こうしてられんだから、
まだまだ...なんだろうな? (^o^)




2005年 3月 5日 

外来で病院に行ったけど、胸が圧迫されてて、
背筋を伸ばせなくて、ちょっと恥かしかった。

先生に、『 ちょっと、黄疸が出てるね。』
と言われて、ちょい焦る。
自分では、気付かないんだけどね...。
 実は、ここの2階に入院してる、
おれの親父も、黄疸がひどい。
 胆道に腫瘍が出来てるらしく、
胆汁が詰って、全身が、黄色い。
 この間、口から、内視鏡みたいのを入れて、
胆汁を吸い出したらしい。

先生に聞いたら、
『でも、お父さんの場合は、手術できるから...。』
おれのは、『 残念だけど...。』 って事だそうだ。
 おれの場合、黄疸がひどくなったら、入院して、
胸に管を通して、吸い出すそうだ。
これ以上、ひどくならない事を、祈った。
でも、まだ、腹水、胸水の方は、大丈夫らしい。
まだまだ、あきらめなくて、大丈夫!
 
 先生に、新しいクスリ(漢方薬)を、処方してもらった。
なんか、『病院で漢方』って、意外な感じがした。
きっと、先生が、一生懸命調べたり、考えたりしててくれたんだね?
すごく、うれしくて、感激した。
おれが、ニッコリすると、
『 「 笑い療法 」 って、知ってる? 』って聞いた。
笑いは、ガンに、極めて、有効な治療なんだよね。

 なるべく、明るく過ごさないと、ガンに負けちゃう!

 おれを励ましてくれる人は、みんな、
『 おれを治療してくれてる人、なんだなあ...。』 
って、 しみじみ思った。




2005年 4月 2日〜5日

 春休み中に、何処かに出かけたかった。

 だから、【 痛み 】 を極力、抑えたかった。

 今は、モルヒネを少なめにして、
なるべく、ボルタレン座薬に頼ってる。
これだと、ガンの疼痛管理としては、物足りない。

 そこで、あたらしい鎮痛剤の、提案を受けた。
 『 非モルヒネ系の鎮痛剤 』 で、
 ボルタレンより強いと言う、クスリ。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
レペタン坐剤/注 ( 強作用阿片系鎮痛薬 )

【規  格】
0.2mg1個/0.4mg1個/0.2mg1管 
【一般名】
酸ブプレノルフィン坐剤/塩酸ブプレノルフィン注射液 
【効  能】
痛みを和らげる坐薬です。 

 その他の解熱鎮痛消炎剤 

レペタン座薬の事は、下記サイト等で、充分確認してくださいね。
http://www.otsuka.co.jp/prod1/iyaku/di/menu/lz4menu.htm
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 3日の夕方、『ボルタレン』 が切れてきたのを確認して、『レペタン』 投与した。

 30分後、激しいめまい、ふらつき、吐き気...。
 ( 腹部の痛みは、完璧に消えているけど...。)

 それから、1時間おき位に、嘔吐。
 吐いて、吐いて、吐いて...止まらない。
 吐いてる物が、だんだん、茶色から、黒っぽくなってくる。

 4日の夕方まで、24時間、水分を取るだけで、吐いてしまう。

 5日の夜、今も、『ポカリスェット』 を半分飲んだだけで、吐き気...。

 病院行って、点滴しないと、脱水症状になりそうだ。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 とにかく、『 腹部の痛み 』 には、めちゃくちゃ効いたよ。
 まったく、胸も、腹も、痛くなくなった...、
 でも、おれには、『 レペタン座薬 』、合わなかった。
 『 吐き気、頭痛 』、これは、耐えられるレベルじゃない。

 もっと、説明聞けば良かったよ...、副作用とかのね。
 肝機能が落ちてると、副作用も重く、長引くらしいね。

 明日、家族旅行、どうしても行きたい。
 『 夏休みまで、待つ 』 って考えもあるけど、
 行っておいた方が、いい...って気も、なんとなくする。





2005年 04月 11日 ( 明日から入院 )

 今、久し振りに、PCのキーを叩いてる。
 痛みと、鎮痛剤の副作用で、キーに触れてなかった。
 なんか、頭も、ボーッとして、間違ってばかりで、先に進まない...。

 今、激しい腹痛を取るために、いろんな鎮痛剤を試してる。

 そのたび、副作用で、嘔吐したり、頭痛、めまい...。
 『 副作用 』 って、抗がん剤だけのものじゃないんだね?
 『 抗がん剤を辞めた。』 からって、ガンとの闘いは、終わりじゃないんだね?
 むしろ、これからが、本当の 『 闘い 』 、
 『 痛みと嘔吐 』 との闘い...?

 『 苦しみを取るための物 』 ( 鎮痛剤 ) の副作用で、
 『 新たな苦しみ 』 が、生まれる。

 それを取るために、また新しいクスリを使い...、また...。

 ここんとこ、何度も、緊急外来でも、治療受けてる。
 耐え切れず、近所の病院に駆け込んだり...。

 やっぱり、そろそろ、入院しかない。
 外来で、いろんなクスリ試して来たけど、合うクスリが無くて、ここ半月位、
 激痛に耐えているか、トイレで吐き続けてるかの、どちらかだった。
 ( 今は、下腹部、わき腹の持続する痛みの中に、いる。 )

 『 疼痛緩和病棟 』 みたいなのがいいと思うけど、
 とりあえず、明日、今の病院に入院して、
 自分に合う、モルヒネ等の麻薬系鎮痛剤と、
 吐き気止めクスリを、探そうと思う

 とにかく、自分に合った鎮痛剤に、出会えれば、

 また、元気になれると信じてるんだ。

 でも、今の状態は...、かなり、厳しい。

 もし、入院が、長くなったら、何も書けなくなるので、

 今、こうして、気力を振り絞って、書き込みしてます。
 ( その病院に、ネットのできる環境が、有りません。)

 だから、一日も早く、『 良いクスリ 』 に出会えて、
 また自宅療養出来るようにしたいと、思います。